ほんもんぶつりゅうしゅう

仏教用語・信行用語

ありがとうございます
佛立信者は、互いに顔を合わすたびに「ありがとうございます」と挨拶を交わします。初めて聞いた人はちょっと不思議に感じるかもしれませんが、ありがとうございますとは「有ることが難い」、つまり滅多にないことを喜ぶ感謝の言葉なのです。  日蓮聖人は、  「自らの罪障によって、三悪道〔地獄・餓鬼・畜生の世界〕に堕ちるものは大地の塵の数よりも多いが、人間として生まれることは爪の上の土よりも可能性が少ないものである。その上で、仏の真実の教えにお出値いすることは爪の上の土よりもさらに少ないことなのである」 とお言葉を残されています。人間として生まれ、御題目のご信心にお出値いすることがどれだけ貴重でありがたいことかををお教えくださっているのです。  久遠本仏もその昔、初めて成道を果たされたときには「御題目の功力を信じる心をおこし、『ありがたいなぁ』と喜びの気持ちをもって御題目をお唱えした」と、法華経本門八品の教えのなかで明かされました。その修行と同じ事をすれば、我々も同じ成仏を果たすことができると仰せなのです。つまり私たちは、御題目をお唱えするにしても、他の人にお勧めするにしても、そこには常に「喜びの心」がともなっていなければならないのです。  ご信心は「ありがたいなぁ」と感じる心……佛立信者は常日頃からこの想いを懐いているからこそ、自然とこの挨拶が生まれてきたのです。
いたいどうしん
 体は異なるが心は同じということ。身分や境遇の違いがあってもその心は蓮・隆・扇三祖のみ教えを中心として一つの心で結ばれること。
いんねん
 結果には必ず直接的原因である「因」と間接的条件である「縁」がある。オリンピック選手を例に上げると、選手の才能が「因」、選手の指導者や練習環境が「縁」となり結果が生じるのである。因縁に関する諺に「袖振り合うも他生の縁」「縁なき衆生は度し難し」等がある。
えこう
 回転趣向(めぐらせ、転じ、おもむき、向かわしめる)を短縮した語。仏道修行の結果である功徳を他に回らし向けること。回向の対象として過去の衆生(亡くなられた方)、同信の人(ご信者)、世間一般の人がある。
おおつごほうなんきねんび
本門佛立講が開講されて10年目の明治元年、王政復古の大号令のもと、「神仏分離令」や「キリシタン禁令」等が定められて廃仏毀釈運動が激化します。寺院や経典、仏像等を焼き払う事件などが起き、仏教各派は衰退の一途をたどる受難のときを迎えました。  そんな中、独り教線を伸ばし続けるのは本門佛立講でした。しかし、公家の高松卿が大津64ケ寺を代表して「日扇がキリシタンの邪法をひろめている」という嘘の訴えを京都府に起こします。大津の各寺院は、本門佛立講の発展によってどんどん檀家を失っていくことがとても脅威だったのです。  7月29日、日扇聖人は凶悪犯の入る京都の西の本牢に入牢されます。しかし取り調べが進む中で、訴えの事実無根が判明し、8月3日に無事釈放。翌日には京都府知事が直々に取り調べを行いますが、日扇聖人のお人柄に敬服し、布教活動公認の鑑札まで発行する結果となりました。  こうしたご法難を乗り越えて、本門佛立宗の基礎を築かれた開導日扇聖人のご恩を忘れないために、毎年7月29日を「大津御法難記念日」と定め、各寺院で報恩の口唱会などが催されています。
おかんきん
 一般に看経は「経を看て黙読すること」であるが、当宗では法華経の肝心である上行所伝の御題目をお唱えすることをいう。また、妙講一座に従って法要一座を勤めることもいう。
おきゅうじ
 御宝前に、香華、灯明、拭き掃除、金品等を供給し、仕えることをいう。
おこうすい・おこうずい
 御宝前にお供えして、沢山の御看経のあがった功徳水のことをいう。
おそしさま
 一般には一宗一派の開祖のことを「祖師」と称するが、当宗では高祖日蓮大士をお祖師様とお呼びする。
おだいもく・おんだいもく
 当宗では、法華経本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経のこと。
おとうば
 元来は、仏舎利(釈尊のご遺骨)を安置した塔(ストゥーパ)の意。のちには一般に先祖供養のためや墓標としてたてた木製あるいは石造りの塔をいうようになった。当宗では、御塔婆には上に御題目を認め、その下に故人の法号(戒名)あるいは俗名を記し、さらに追善菩提等と記す。そしてその下に弔主の名前を記すのが一般的である。
おんしつ
 怨は怨み、嫉は嫉みのこと。当宗では、法華経の修行者に加わるさまざまな迫害や妨害のこと。