ほんもんぶつりゅうしゅう

仏教用語・信行用語

じゅうかこういん
 「果より因に向う」と読む。仏が衆生を教導するため、自身が行じた因の修行(本因妙)を手本として示すこと。
じゅじ
 教えを受けて持つこと。「受ける」とは御法のあら 知ってるほどと合点して随うこと。「持つ」とは、御法の御力に随喜し、憶えて絶対忘れないという心の働き。
じゅんえん
 逆縁にたいする語。素直に仏縁が結ばれることをいう。教化を受けて逆らわずに正法に帰入した場合や、素直に法灯相続ができた場合などに、「あの人は順縁だ」という。
じょうぎょうしょでん
 「本化上行菩薩が伝えられた所の」という意。上行菩薩は法華経本門の従地涌出品から嘱累品にいたる八品を聴聞し、神力品において本仏から「末法に出現して妙法を弘通せよ」との命を受ける。  故に上行菩薩のご再誕、高祖日蓮大士が弘通された御題目を上行所伝の妙法と称する。
じょうぎょうぼさつ
法華経の本門、如来寿量品第16において仏さまは、そのご自身の本体は永遠の生命を具えた根本の仏、久遠本仏ということを明かされました。その尊いお姿、立場をもって真実の教えを説かれ、南無妙法蓮華経の御題目にその全てを包み込まれました。そして如来神力品第21において「私は間もなく仮にこの世から姿を消すが、私のいない後の世にこの法華経の教えを私に代わって伝え、弘めるように」と、一人の菩薩に命じ、授けられます。そのお方は、久遠の昔より本仏にお仕えになられてきた一番弟子、上行菩薩というお方です。 では、上行菩薩はいつ、どのようにこの末法に現れて、私たちに御題目の大法をお授けくださったのでしょうか?その上行菩薩とは、実は日蓮聖人だったのです。 1222年、日本にお生まれになった日蓮聖人は、約20年間にわたる仏教研究の末、法華経の教えこそが仏さまの説かれた教えの中で最高の教えであるという確信を得られました。そしてその真実の教え、法華経を世に正しく弘めようと決意されます。1253年、32歳の時です。  その約20年後、日蓮聖人はご自身が上行菩薩の生まれ変わりであることを確信されます。法華経には、末法の時代に、仏さまに代わってその教えを弘める者は流罪を受けたり、刀で切り殺されそうになり、その他、種々の迫害に遭うと記されてあります。しかし、法華経の行者を守護する諸天善神は必ずこの人を守り、その使命を全うすることを助けるであろうとも記されてあります。御題目をお弘めになる間、日蓮聖人はまざまな法難を経験され、それらの体験はすべて法華経に説かれる予言に符合していたのです。こうして本仏釈尊の使者、上行菩薩の再誕はこの日蓮以外の何者でもないとの自覚を得られたのでした。  日蓮聖人が身命を惜しまず、末法を生きる我々のためにお伝えくださった南無妙法蓮華経の御題目。次にその御題目にはどんな力が込められていて、どれほどありがたいものなのかを見ていくことにしましょう。
じょうごうのうてん
 過去世に作った悪業因(罪障)によって、今生に受けるはずであった悪業報(災難等の苦しみ)を信心修行によって消滅し、良い方向(成仏の方向)へ転ずるご利益のこと。
ずいき
 随喜には、感謝と感激が含まれている。御法にお出値いした我身の上を喜ぶ(感謝)、他の人がご利益を頂いた姿をみて喜ぶ(感激)の意。
ずいじい・ずいたい
 仏が自らの悟りをそのまま説き示すことを随自意といい、衆生の能力や求めるところに応じて教えを説くことを随他意という。仏の本意が説き明かされた法華経本門は随自意の教えであり、それ以前に説かれた諸経は随他意の教えである。
せいじんしき
 世間では、成人式は子供が満20歳に達したことを祝うと同時に、一大人、一社会人としての自覚を持たせるための儀式として認識されています。  佛立宗の成人式では、一人の佛立青年がこれまでの御宝前のご加護に感謝すると同時に、佛立信者としての今後の更なる飛躍をお誓いします。これを機に、青年は御弘通に貢献する一人前のご信者、つまりお祖師様にお褒めいただける弘通の法器へと成長していくのです。
せんげ
 遷は移るということ、化は化導のことで、化導する地を遷すという意。高徳の僧、高位の教務が帰寂した場合にも用いる。
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