ほんもんぶつりゅうしゅう

仏教用語・信行用語

きょうむ
教務
本門佛立宗では、出家得度した僧侶のことを「教務」あるいは「講師」と称します。ご信者は、親しみと尊敬を込めて「お教務さん」「お講師」と呼びます。

 そもそも本門佛立宗は、開導聖人があるご信者宅でお勤めになった法要、「お講」の場が発足のはじめとなりました。「講」という字は「仏教の信者が集まり、経典の講義をする会」という意味があります。つまり、佛立宗のご信者宅で勤まる「お講」とは、久遠本仏より日蓮聖人、そして私たちへと伝えられた、御題目のご信心がどういうものであるのかを教え伝える場なのです。ですからお講とは、他宗教が行う世間一般の「亡くなった人の回向」だけではなく、それを超越したとてもありがたい法要なのです。

 ご信心とはどういうものなのかを「教えることに務める」、あるいはその道場である「『講』の師の役割を果たす」という意味から、当宗の僧侶を教務・講師と称するのです。「御題目のご信心とは一体どのようなものなのか」、それを常日頃からご信者や世間の人に説くことを本務としている佛立宗のお教務さんは、まさに仏さまのお弟子、日蓮聖人のお弟子であり、ご信者はいつも敬いをもって接するのです。

 では具体的にお教務さんはどのようにしていつもご信者を教導されているのでしょうか?お寺やご信者宅にて法要が営まれるとき、必ずと言って良いほど、そこでは「御法門」が説かれます。次にその御法門とは、どのようなものなのかを見ていきましょう。
関連する語句
ごほうもん
御法門
「御法門(ごほうもん)」とは、世間でいうお説教とか法話と同じようなものですが、当宗の教務が説くその話の内容は、御題目の「ご信心の道」を教えるものです。  「法」とは仏さまの教え、「門」とはその入り口のことです。つまり御法門とは、ご信心の世界へ入らせ、「ご利益を頂く」ための道を歩ませるためのものなのです。  何事もその物差しとなる指針や哲学がないと、その道を学び極めようと思っても、なかなか上手くいかないものです。ご信心の道も同様に、その道しるべがないければ、迷わずに成仏というゴールへたどり着くことはできません。その道しるべが、いわば御法門なのです。  ご信心と御法門は、切っても切り離すことのできないものです。信心の在り方・仕方は御法門を聴聞してこそ分かっていくものです。お寺に参詣しても、お講に参詣しても、およそご信者が集まる処には必ずといってよいほど御法門が説かれます。この御法門を聴聞させていただくことによって、正しい信心の道を知るのです。功徳を積み、ご利益をいただくための道は、御法門を素直に心に納め、身に行うことによって開かれていくのです。  そういう意味で、御法門は聞く信者にとってとても大事なものですが、説く側の教務にとってもとても責任重大なものなのです。そこで教務は一生を通じて御法門を学び、研鑽し、その御法門を通じて御題目の御弘通(ごぐずう=布教)に日夜励むのです。  法華経には次の四文字が示されてあります。  「聞法信受〔法を聞き信じ受けよ〕」 ご信心とは、まずは御法門を聞き、それを素直に信じ、心に留め、実行することから始まるのです。  そんなご信心の仕方を教わる御法門……そのお話の中で特によく耳にするのが「教化」と「お折伏」の2つの言葉です。佛立宗では、これらが口唱行と併せてとても大事な修行となるからです。それではつぎに、その教化と折伏の大事さについて見ていきましょう。