ほんもんぶつりゅうしゅう

信厚寺


2017-10-15 09:26

2017年10月 五計最終年度です

 今お寺は「五ヵ年計画最終年」創立四十周年記念法要の年を来月に迎える所に至りました。考えて見ますと、時間の過ぎるのは早いもので、残す一か月はすぐに来てしまいますから、時間を考える時には「来月ではなく、五十日、三十日、十五日」と言う様な考え方で、色々な企画やご奉公体椡の組上げをしたいと思います。何度も申し上げておりますが、今回はうまく行かなくても「五十周年の時がある」と言う言葉が出せる人は若い人かもしれません。しかし事を進める時にこの様な考え方では力が出ないでしょう。どれだけ時間がある様に思っても、基本は「一期一会」の思いが土台でしょう。「一期一会」とは「機会は人生でいつも一回だけの巡り合いと思え」という事です。要するに何事も人生の中の事は一回こっきりと考えて、事にあたって全力を尽くせという事です。
 「人生一炊の如し」という諺があります。ある若者が自分の人生の貧しさや出世の望みのない境遇を悩み旅に出ました。さて、昼食を迎える事になり、食堂に立ち寄りました。丁度ご飯が切れた所で、店主は暫くの余裕を求めましたが、男は休憩を兼ねて待つ事にしました。さて食事を済ませた男は、その後、多くの難関を克服し立派な役人となりました。美しい妻もめとりましたし、可愛い子供にも恵まれました。役人として多くの人に尊敬され多くの部下を持ち、人生大成功を納めました。しかしその人生に別れを告げる日がやって来ました。何もかも捨てて死の旅に出る日が間近になり、男は人生の何もかも捨てての一人旅に出るのです。思いは色々めぐり、満足も後悔も行きかいました。そんな時です。こんな声が聞こえました。「もしもしお客さん、目を覚まして下さい。食事ができましたよ。暖かいうちにお召し上がり下さい」男はハット目をさましま
した。男はご飯のたける時間、居眠りをしていたのです。男は居眠りからさめて、これから辿る人生目標に深みをつけ、都にのぼって行ったのですが、彼のその後はどんなであったでしょうか。
 という中国の話です。人生は無常で命には限りがあります。幸せや、地位名誉もこの世限りの事です。来世に持っては行かれぬものです。開導聖人は御教歌くださっています。
 金持ちは、裟婆の金持ち、その金を、寂光に積め、功徳甚大。
 と教えて下さって見えます。お金ばかりではなく、知恵も財力も何にどう使うかが大きな課題です。命や知恵でも同じ事が言えます。私達は夢の中に生きているのではありません。人間生きている時、生きるのに頭突や争いがあるかもしれませんが、そこからは地球上の将来はないと知るべきでしょう。地球上に生きる命は「一期一会の形」を示しています。しかも「生命の歴史」を思えば実に短いものです。「一炊の夢」という事ですが、太陽の子供として大陽より短い命で死んで行く地球です。その地球の生命の長さに比べたら、人間の命など例えようないほどの短さです。私達人類は、はかない人生を、良質で価値ある生き方は何かを考えて生きる事が大切なのです。本門仏立宗のご奉公の理想は、ここにあるのです。
 創立四十周年のご奉公基本思考はこんな所においては如何でしょうか。信厚寺の信者であるかぎりにおいては、どうぞ良くお考え下さり、良き記念日をお迎え致しましょう。