ほんもんぶつりゅうしゅう

信厚寺


2016-09-18 08:20

事行山録 9月 天災・人災

 今年も又大きな台風がやって来た中で九月を迎えました。確かに大きなのがいくつも来ましたが、関東、東北、北海道は、大変な被害でした。農家の方が、水と風に傷められた農作物を見ながら「もうだめです」と悲しんで見えました。昔だったらそれこそ死活問題が大きく出て来だのではないかと思いましたが、色々な政治的な力の出動や、異業種も力を合わせて「立ちがり」を応援して頂きたいと願う所です。
「昨日は他人の身の上、今日は己が身の上」ですから・・・。 所で世間の古い格言に「治水は国の基本」等と言われて来ていますが、近頃は社会のあり様が「複雑、高度化」と進んでいますから、さすがに餓死はないとしても、乱開発等が人の命を奪う点は「高台に逃げれば・・」と言う時代より「対応は深刻様相を示している」と言えましょう。少し前の広島の土砂災害は 「乱開発という原因が噛んでいたと言う事であった」と思います。台風が来るといわれるのに「どぶ掃除」に心を向けてみないなど、怠慢という譏りを受けましょう。やはり自然が耐え切れる一線を越えると、自然は人間との協調を投げ捨てて仕舞い、大を
はぐくめない悲嘆が又悲しみの吐露が、災害となって現れます。
 いつも自然は人間に共存意識を求め、治世の宜しきを求めてやまないのでしょう。お祖師様の時代も自然災害が多く、これは法華不信のとがと折伏をされました。
信者の自然災害対応策
 信者は御法の御守りを頂くと言う事で、多くの御利益談や、御計らい談があります。これは大変有り難い事です。しかし過度な安心は気をつけなければなりません。歴史の知恵や検証を無視する様な事は心して配慮すべき事です。「人力の及ぶ限りは、人力をつくすは冥加なり」との御指南がありますから、この辺の所は良く心得る事は大切です。
 「国が色々な面で安全策を施している」と言っても心から安心はできません。例えば東北の「原子力発電所崩壊」これ等は一例でしようが、素人の耳目には情報は入って来ても良くは理解出来ないのが一般人の姿です。しかし考えて見ますと、長い人間の生活歴史を思うと、今後もこうした錯誤は続いて行くのではないかと思わないではありません。今の所問題は無いとしても、一寸先は闇です。今は事なく済んでいても「やれやれ」と安堵はできません。どんなに言った所で「山で無い、急流地でない、工業地帯で無い、日常生活が不便で無い、物価が高く無い、医療教育施設が遠くない、地震や津波に、大風に強い地域、治安に心配ない」こんな街作りがしてある所はありません。
 それに今は悪世末法です。こんな事を考えると、「天に向かってつばを吐かない事」が大切です。「三界安き事なし、尚火宅の如し」は厳しいお経文です。
 願う所は「唯有一人、能為救護」の文です。