ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-11-17 10:17

11月17日の隆宣寺日記

「これまで何かと苦労の多かった〇〇さんが、ついに幸せをつかんだ」この知らせを聞いて、どのように感じ、どのようなリアクションをするか。それは私達の《心》が、どういう心であるかによって大きく違ってきます。「それは良かった!」と祝福する人もあれば、全く無関心な人もあるでしょうし、嫉妬する人、恨み節の人、中には「その幸せを奪ってやりたい!」という人もあります。

 

私達は幸せを手にしたくて、せめて不幸にはなりたくなくて、今を精一杯生きています。しかし、その「幸せ」や「不幸」の定義や基準というのは、決して同じではありません。これもまた人それぞれの《心》の有り様によって、大きく違ってくるものです。そうなれば、幸せを築いていく方法や、不幸を避けようとする手段も自ずと違ってきて、時として、お互いに幸せの奪い合いや、不幸のなすりつけ合いすら起きてしまいます。

 

そんな私達人間に「人間らしい生き方」を伝えるため仏様は教えを説かれました。その真理が、法華経(ほけきょう)という御経の中にあります。『雨にも負けず』で有名な宮沢賢治も法華経の信仰者でした。彼は法華経の教えを人々に伝えるために、様々な作品を書きました。それは全て「この世界が本当の幸せに包まれるため」だったのです。

 

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

これも宮沢賢治の言葉で、個人という小さな世界観に閉じこもっている間は、お互いに幸せを奪い合う、不幸や苦しみをなすりつけ合うことにしかならない。誰かが笑っている一方で、誰かが泣いてる、他人の犠牲の上に成り立つ世の中。これでは結局、誰ひとり本当の幸せを手にすることはできないのです。

 

だからこそ、私達一人ひとりの意識を、その世界観をもっと大きく、広くしないといけない。そうやって、個人個人がそれぞれ、お互いのことを思い合える《心》になっていくことで、自分の生き方が変わり、家族が変わり、地域が変わり、日本が変わり、世界が変わっていく。自分一人で世界全体を変えることはできませんが、自分一人から世界全体は変わり始めるのです。宮沢賢治が『雨にも負けず』で「そういうものに、私はなりたい」と書いたように、私達も法華経の教えを軸にして「人間らしい生き方」を志し、人生の指針としたいものです。

 

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