ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-07-10 11:12

7月10日の「毎日ぶっきょう」

仏教は苦しみが生まれるメカニズム(仕組み)と、苦しみを解決するメソッド(方法)を説いています。私達にとって大切なのは実際に苦しみを解決させることなので、メソッドの実践こそが仏教信仰といえます。ただ、そうは言っても、いきなり「この薬、めっちゃ効くから騙されたと思って飲んでみて!」と勧められても、「え?この薬、本当に大丈夫?」となるのが普通の反応で、やはり、それなりの裏付け、根拠が必要になります。だからこそ、処方箋を書けるのは医師免許をもった先生だけで、処方箋の通りに薬を出すのは薬剤師の役目です。

 

それと同じように、僧侶は苦しみが生まれる仕組み、苦しみを解決する仕組みを理論・理屈として学んでいます。その上で「実際に何をどうすれば苦しみから解放されるのか」という手段方法を実践的にお伝えしているのです。中には、メカニズム(仕組み)に興味関心を持ち、それこそ「学問」として仏教をとらえている方々もありますが、それは一般人が医学や薬学に興味関心を持ち、専門書を読もうとするのと同じで、知識が増えるだけに終わります。残念ながら「生兵法は大怪我の基」というように、中途半端な知識は却って有害になることもあるので要注意です。

 

結局、仏教は本来「信仰」として存在しているのであり、その大目的は「苦しみからの解放」だと言い切れます。病気の場合も、解決のために必要なのは処方箋に基づく《薬》であり、処方箋だけがあっても意味がありません。同様に、私達に必要なのは苦しみを解決する《メソッド》であり、そのメソッドの《実践》に他ならないのです。ただ、薬も用法・容量を守ってこそ効果が得られる訳で、仏教信仰も自己判断では望ましい効果は得られません。だからこそ、僧侶による処方箋と実践指導が必要不可欠で、それでこそ「信仰」として仏教が存在し得るのです。

 

*ここでいう「僧侶」とは頭を丸めて、袈裟・衣を身にまとった人のみをいう訳ではありません。

 

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