ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-11-05 10:30

11月5日の隆宣寺日記

組織の一員として動いている場合、老若男女が集まることが多く「私達の若い頃は、ああだった、こうだった」という話を耳にすることがあります。過去の実績は、それが成功にしろ、失敗にしろ、実際にやってみた結果なので、その事実そのものが財産であり、実に有益なものであると言えます。

 

その一方で、年配の方から「昔の話」を聞かされるのを嫌う若い人も多いものです。きっと色んな事情があると思いますが、やはり話をする側である年長者の心得がなくてはなりません。そうでなければ《実績》という折角の財産が次世代に引き継がれず、無駄になってしまいます。これは年長者の責務であり、自分自身の実績を活かすためでもあります。

 

では、なぜ若い人たちは「昔の話」を嫌うのでしょうか。それは《結果》だけを話す人が多いからだと思います。「これだけの売上があった」「これだけの人を集めた」「これだけ大きな動きがあった」ここだけを雄弁に話されると、残念ながら、ただの自慢話にしか聞こえないのです。

 

たとえば、貨幣価値は時代によって違うので、昔の話をする場合には必ず「現在の価値で換算すると○○円になります」といった補足がつくものです。なので、昔の話をする時には《結果》だけを話すのではなくて「どういう状況で、こういう取り組みをして…」という情報がなくてはなりません。

 

そうでなければ、その《結果》がどれだけ凄いのか見当がきません。「今はこんな売上だが、俺らが若い頃はその何倍も売上を出してたんだ!」ではなく、「俺らが若い頃は、こういう景気で、こういうやり方が主流で、これだけの売上だった。単純に比べたら何倍もの売上だけど、今の状況はこうだから、みんなも頑張ってるよね!」

 

そういう風に言ってもらえれば「なるほど、そういう時代もあったのか」となりますし「じゃあ、それを今の時代に置き換えたら、どういう可能性が考え得るだろうか」となります。そして、そういう話の進め方であれば、年長者と若い人とが一緒になって話ができるのです。単純に「今の結果」と比べて「昔の(すごかったであろう)結果」を話すのは得策ではありません。

 

もう1つ、自慢話にしか聞こえない原因は、現在の有り様にあります。「昔はああだった、こうだった」と語っている人が、素晴らしい人材であれば「なるほど、そういう風に仕事をすれば○○さんみたいになれるのか!」となりますが、そうではない場合「それなら、そういう風に仕事をするのはやめとこう…」となりかねません。

 

仮に、その昔話が本当に素晴らしい《結果》であったとしても、それが現在に活かされていないのであれば、過去にしがみついているだけにしか見えません。過去を振り返るのは現在に活かすため、よりよい未来をつくっていくため。前を向いていない、後ろを振り向いたまんまの昔話は、やはり快く耳に入ってはこないのです。

 

折角の実績、功績を活かすことは本人のためになるだけではなくて、これからの時代を担っていく若い世代の貴重な財産となります。未来志向は大切ですが、未来を見ているだけでは何も学べません。私達は過去からもっともっと学ぶべきで、だからこそ年長者の責務は極めて重要なのです。

 
 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)