ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-29 10:34

12月29日の隆宣寺日記

仏様の教えに「少欲知足(しょうよくちそく)」というものがあります。直訳すると「欲張らずに今あるもので満足する」という意味です。ただ、そう言われると《禁欲的》《ストイック》というイメージにつながりやすく、どちらかと言えば、負のオーラ、マイナス・ネガティブな感じを受けやすくなります。なので、いつもお話しするときは、できるだけポジティブで明るい感じになるように「当たり前と思っている物事に対して、感謝できるようになりましょう!」とお伝えしています。

 

たとえば、私達にとって衣食住は無くてはならないものですが、じゃあ、それが有って当たり前なのか?というと、決してそんなことはありません。衣食住を維持するためには、それだけの時間・体力・お金が必要な訳で、それだけの時間・体力・お金が、いつも有るという保証は、どこにもありません。なので、何一つ「当たり前」ではなく、すべてが「有難い」ことばかり。でも、その「有難い」を「当たり前」にしてしまうのが、私達の煩悩(ぼんのう)です。

 

だからこそ、仏様は「少欲知足(欲少なくして足ることを知る)」という教えを説かれて、本当に大切なもの、本当に価値あるものに、きちんと気づける心を養うようにと教えてくださるのです。特に、この100年で生活様式は大きく変わり「これが普通の暮らし」という水準も全く違います。それこそ100年前であれば、衣食住が揃うだけで十分恵まれてると言えたでしょうが、現代では、インターネットやパソコン、携帯電話などは、もはや生活必需品となりつつあります。「通信費として1〜2万円」これは食費などと同じ認識なのが、現代人の感覚なのかもしれません。

 

いずれにしても、大切なことは「これができたら金持ち」「これができないから貧乏」という基準ではなく、今の生活そのものに対して「有難い」という思いが芽生えるように心を育てていくことが大切だと言えます。どんなに時代が変わっても、どんな生活環境になろうと「有難い」と思うのは人の心です。全く同じ状況であっても、それを「当たり前」と思って満足できず、不平不満をこぼしながら生きていくのか。それとも「有難い」と思って、感謝の思いを持ち、満たされた心で生きていくのかは、私達次第なのです。コロナ禍で失ったものも多いと思いますが、今だからこそ気づける大切なことも沢山あるのではないでしょうか。

 

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