ほんもんぶつりゅうしゅう
2016年02月28日
当たり前が当たり前でない御利益
第4支庁・鎌倉 顕証寺 甲斐郁美さん
 
 
 ありがとうございます。私は生まれた頃から母に連れられてお寺にお参りさせて頂き、常に御法様が身近にある存在でした。なので改めて自分で御法様について考えたり、お参りさせて頂いている、という気持ちを持たず、ただ母にくっついてお寺に行ってるという日々でした。そして、青年会の一員として司会を任されたり、色んな御奉公をさせて頂くようになり、一人でもお寺に行くようになりました。この頃から私の中で少しずつ変化があり、自分なりに自立し始めてきたような気がします。
 
 そして、1年半前から一人暮らしをするようになり、懐中御本尊を部屋におまつりさせて頂き、つい最近、今までより大きな御本尊をお迎えしました。私は正直、今まで御法様に守られてるんだ、と感じることはあまりありませんでした。でも、思えば小さい頃から「何かあったら南無妙法連華経と唱えるのだよ」と言っていた母の言葉を信じて心の中で唱えていたり、些細な怪我があったらまず頭に浮かぶのは御法様で「何の罰が当たったんだろう」と考えたり、常に頭のどこかには、御法様がいらしたような気がします。
 
 一昨年車の事故に遭い、曲がり角で急に車が飛び込んで来た時も、運転席側のドアはひどくぶつかっていたのに、運転席にいた私にはギリギリぶつからずに無傷で済んだというお計らいを頂きました。特に大きな出来事はないのですが、仕事場に恵まれて好きな仕事が思う存分出来てること、自分を必要としてくれる友達がいること、お金に困ることなく今まで過ごせてきていること、温かい家族にいつも見守られていること、五体満足で生まれてきたこと、当たり前だけど、不自由のない生活を送れていることが、御法様に守られていることなのかなと少しずつ思えるようになってきました。今はまだ自分の中でも葛藤があり御法様を100%信じ切ることはできないし、私生活が優先になってしまっていますが、年を重ねるごとに、自然と御法様に対しての思いが強いものになっていけばいいなと感じています。ありがとうございます。
 
平成21年7月発表