ほんもんぶつりゅうしゅう
2015年08月13日
母から娘へ —法灯七代—
東京・乗泉寺 的場紀子さん
 
 写真のご家族は一昨年、結ちゃんというかわいい女の子が生まれ(写真左端)、ご信心が七代続くということになりました。そのような法灯が絶えることがなかったのも、現在、103歳となる赤木鶴子さん(写真右端)、またその娘、福永美佐子さん(写真右から二番目)のお陰だとご家族の方々はおっしゃられています。このご信心はどのようにして伝わってきたのでしょうか。
 
 赤木鶴子さん(北九州不輕寺所属)のお話なども伺いましたところ、鶴子さんの祖母テルさんの息子・卓雄さんが大阪清風寺にてお教化になったのが始まりだそうです。卓雄さんが母親であるテルさんを教化したのち、当時テルさんの孫(鶴子さんの兄弟)が病気を患っており、そのことがきっかけでテルさんの娘夫婦も入信し、不輕寺に所属し、鶴子さんが物心ついた頃にはいつもそばに御題目があったそうです。
 
 入信してからは数々のご利益を頂戴し、近くで見ていた子ども達も自然な流れでご信心をつかんでいきました。高齢になってからは長男が住む東京に引っ越し、大塚遠妙寺さんに所属されます。木村日玄上人並びに日覚御導師にご教導いただき、人生の後半は御導師始めご信者さんにも支えられご信心を続けてこられたそうです。
 
 鶴子さんの長女・美佐子さんも、小さな頃から御宝前のお給仕をさせていただいたり、お寺参詣を一生懸命させていただき、ご信心を自分のものにしていきました。そして昭和33年に結婚。お相手は自衛官であった福永義人さんで、勉強熱心で愛情深く、周りからの信頼も厚い方で、反面とても頑固者で自分の考えはなかなか変えない方だったそうです。そのような方でしたので、ご信心への入信は一筋縄にはいかず、美佐子さんは仕事の合間に内緒で御講やお寺参詣に足を運び、御本尊奉安と3人の子どもの成長や夫の入信をご祈願する日々だったようです。
 
 そんな折、昭和45年暮れ、自衛隊から転勤を告げられ、北九州市から北海道札幌へ家族共々引っ越すことになりました。ところが本来なら自衛隊の官舎に入居するところ手違いで入居することができず、札幌に行ってから家探しをしなければいけなくなってしまいました。しかし、美佐子さんは信廣寺のある札幌に引っ越すことができたことをご利益と考え、まず家族でお参りさせていただくと、なんと事情を知った石岡日養上人が「それなら住むところが見つかるまで何日でもお寺にいなさい」とおっしゃって下さったのです。子ども3人を抱えて住む家がないという状況がどれほど不安だったことか。それを汲み取ってくださったのか、そのようなお言葉に、頑固一徹の義人さんも日養上人の人柄に惹かれ、家が見つかってからすぐに美佐子さん念願の御本尊奉安をすることができたそうです。
 
 またそれからは、内緒でお参詣していた美佐子さんを車でお寺まで送ってくれるようになったそうです。家族でお参詣した時も車内で待っていた義人さんですが、子どもたちに促され暖かい本堂の一番後ろの席で待つようになり、御題目を上げるまでには至りませんでしたが、御法門だけは聴聞していたようです。
 
 そのような状況が5年程続き、九州に残してきた義人さんの祖母が亡くなったのをきっかけに大きな御戒壇を建立しようと義人さんが言い出され、念願の護持御本尊と御尊像を奉安することができたそうです。美佐子さんの、反対されても反対されても決して諦めなかったご信心が、このようなご利益となって御法様からいただけたのだと思います。平成25年に義人さんは他界しましたが、美佐子さんは現在も毎日お寺参詣、御講、お助行と周りの方に支えられ小倉不輕寺で頑張っていらっしゃいます。
 
 美佐子さんの長女、的場紀子さん(写真中央)は信廣寺の青年会の方から将引を受けるうちに、少しずつご奉公にも参加するようになっていったようです。また転勤で家族は大阪に行くことになりましたが、紀子さんは高校卒業まで札幌にいることになり、親元から初めて離れる機会となりました。
当時、御導師の勧めで乗泉寺の庫裡でのご奉公に行かれる女子青年会員がいらっしゃいましたが、紀子さんにも高校を卒業する頃、日養上人からお声がかかりました。しかし卒業間近、大学合格が決まっていたこともありお断りさせていただくと、今度は「家族の住む大阪清風寺だから安心してお給仕してきなさい」とのお言葉に「二度にわたりお薦めしてくださったのだから、御導師のお言葉通りに行かせていただいたほうが良いのだろう」と心が変わり、大学進学をやめて大阪に行くことを決心します。
 
 大阪清風寺では、西村日地上人、宣子奥様ご家族の皆さまより、お給仕はもちろんのこと身の回りに関すること全てを教えていただき、紀子さんの人生の中で一番大切な時間となったそうです。ご奉公が始まって3年程たった頃、突然会ってほしい人がいるからとお茶に呼ばれると、そこには東京ほんもん屋の的場亨さんがおられました。お見合いの席だったそうです。清風寺の目の前にあるほんもん屋さんへお使いに行ったとき、たまたま東京から来ていた亨さんの父、一郎さんがその姿を見て気に入ったということでした。大阪ほんもん屋さんと清風寺の奥様が取り持ってくださり、あっという間に結婚という運びになりました。紀子さんは大阪から東京へ移り新しい生活がスタートすることになります。東京では慣れない接客や、3人の子どもの育児など忙しくされていたようですが、やはりここでも渋谷乗泉寺が近くにあったお陰で、お寺参詣やその他のご奉公もさせていただけて、ご信心中心の生活をすることができ、現在もお役中として育成ご奉公などに励んでおられます。
 
 紀子さんの長女・果(このみ)さん(写真左から2番目)は、やはり家族と日々お寺に足を運び、中学生からは青年会員としてご奉公に励みます。中学受験や就職活動の際、スムーズに決まったり、大きな病気もなく人間関係にも恵まれていたことをご利益と感じて、今までご信心を続けてこられたようです。平成25年、乗泉寺お教務・秋山廣喜師とご縁をいただき、結婚され現在の一人娘が結ちゃんです。
 
 先祖からこれまでつなげてこられた法灯があるからこそ、振り返れば人生の転機となる場面で道を示してくださる方と出会え、良い方向に導いてくださったのでしょうと紀子さんはおっしゃられています。宗外者と結婚し嫁いでいくと、ご信心が途切れがちになってしまいますが、続けてこられたお蔭で鶴子さんが増益寿命のお計らいをいただかれ、女性五代が揃う写真を撮ることができました。それぞれ男子のご兄弟もいらっしゃいますが、今回は母から娘への法灯を特筆させていただきました。ご信心を放さずお持ちし続けることは容易ではないことかもしれませんが、私たちも法灯の灯を絶やすことなく、次の世代につなげていきたいものです。