ほんもんぶつりゅうしゅう
2012年10月01日
助けたいという一念が大切。ご奉公の功徳で主人もご利益いただく。
9支・大法寺 廣田 弘子
 
 
ありがとうございます。
 
 平成二十四年四月、本山宥清寺の門祖会において、平成二十三年度の弘通表彰をいただくことができました。私にとっては昨年に引き続きの表彰で、講有上人から直々に額に納まった色紙を頂戴することができて、また一つ一生の思い出が増えました。
 
 今回は母の清水美智子も一緒に参詣させていただくことができ、講有上人との記念撮影にも参加することができました。ささやかな親孝行ができたかなと思っています。
 
 以前もお話したことがあったと思いますが、私の祖母・清水ミチミは大洲大法寺の基礎を作るご奉公をさせていただいて、教化子もたくさんおりました。そんな祖母の後押しを受けるかのように、こうして今、私がお教化という形で御法のお役に立つことができているのは、他ならぬ主人の協力があってこそのことです。
 
 主人・廣田実の実家は元々真言宗でしたが、祖父が熱心なキリスト教の信者で、私財をなげうって教会を建てたような人でした。そんな家庭に育った主人は、キリスト教を信じていながら家族におこる不幸を見て、なにがありがたいのかと疑問に思っていたようです。
 
 今から二十数年前、縁あって私たちは結婚することになりましたが、主人は最初から理解があったわけではありません。でも先祖回向という面ではお墓参りを毎月欠かさずするような人でした。
 
 平成九年に今のご住職河野淳曠師が就任されて間もなく、私たちは家を新築することになりました。それ以来、主人もだんだんご信心に理解を示すようになり、朝参詣や御修行参詣に励んでくれるようになりました。
 
 特に今から五〜六年前の「大津御法難記念口唱会」に参加したとき、始めは二時間の口唱は長くて大変だと思っていたそうですが、一時間が経過したころ、何故か涙が流れだし御題目を口唱することがとても心地よくなったのだそうです。
 
 そんな経験から今度は主人のほうが熱心にご信心に取り組むようになって、知人友人は言うまでもなく、お店で働いている従業員たちにも私と共にご信心を勧めるようになったのです。
 
 また主人は本門佛立宗のホームページから記事を抜き出して、話をする時の材料にしてくれたり、ご利益談をコピーしてくれたりと、まさに二人三脚でのご奉公を推し進めてくれました。
 
 主人は言います。佛立宗のありがたさがわかると、させていただかないことがもったいないと。御題目をお唱えするだけでこんなによくしていただけるのに、何故それをみんなしようとしないのか。
 
 他宗を知る主人がご信心を勧めるには、こんな厚い思いが込められているんだと、もともと信者の子供として生まれ育った私などは大変驚かされました。当たり前のように思っていたことが、実はそうではなく本当に有難い身の上なんだと主人によって気付かされたのです。
 
 そうしているうち、お教化の出来方にも変化が現れました。始めはこちらから熱心に話をして、ようやくお寺に参詣してもらえるようになっていたのが、この頃は困っている人が不思議と私たち夫婦の周りに集まるようになって、お教化されるのを待っているかのように思えるのです。これからもそんなご縁を大切にしていきたいと思っています。
 
 そんなご奉公の功徳で、主人は大きなお計らいをいただきました。昨年の三月十一日、ちょうど東日本大震災が起こった日、私は夕方家でお看経をあげながら、本山奉仕会で
 
一緒になった青森の友人の無事を祈り、いつも以上に御題目を唱えていました。
 
 すると息子から電話があり、お父さんが事故にあったというのです。聞けば店の前でお客さんの車とバイクの主人が衝突したとのことでした。お店の駐車場に入ろうとしたお客さんが急ハンドルを切ったので、バイクの主人が対応できず車の側面にぶつかり、そのまま倒れこんでしまったのです。
 
 周りの人が驚くほど大きな音がして、倒れこんだ主人にそのままで動かないようにと声がかかったそうですが、主人は事もなげに起き上がり、バイクを仕舞うと別のバイクに乗って、そのまま配達に行ったのです。
 
 バイクは廃棄処分となりましたが、不思議と主人は右腕に痛みはあったものの、頭を打つこともなく難を逃れることができました。
 
 相手も知り合いの人で、事故処理もスムーズに進みました。一歩間違えば大事故になってもおかしくない状況だったので、このことも常に御法さまによって守られているという主人の思いをさらに深める結果となりました。
 
 しかし悩みは尽きません。せっかくお導きしてお教化になっても、なかなか本当のご信心を掴んでもらえないのです。
 
 私たち夫婦も時間をやりくりしながら、なんとかお教化させていただいた人にご利益をいただかせて、このご信心の有難さを感得してもらいたいとお助行に頑張ってはいるのですが、最初は素直にお寺参詣してくれていた人でも、やがて参詣から遠のくようになってしまいます。今はただお教化させていただいた人が、真の幸せを手にしてもらいたいと願うばかりです。
 
 最後になりましたが、私が心に決めて毎日実践していることは、必ずひとりの人にはご信心のお話をすることです。そして自分が聴聞して心に響いた御法門の話をしたり、先祖供養の大事をお話しています。同じ人に何度も何度も話すこともあります。
 
 また、御宝前さまには自分たちの周りにいる一人でも多くの人が御題目さまで救われますようにと一心に口唱させていただいています。そうして強く思うことで、どうしても助けたい気持ちが通じてお教化になるようです。ですから原点はお教化のための教化ではなく、この人を救いたいと念ずることだと思います。
 
 下半期も私を助けてくれる強い味方の主人と共に、祖母ミチミの後を追いかけて頑張らせていただきます。
 
 「おのが身をいのらんとせば人をまた 助けんとする信者なりけり」の御教歌は、私が今一番大切に思う心を教えてくださった御教歌です。ありがとうございました。