ほんもんぶつりゅうしゅう
2022年10月14日
第34回 北条弥源太
【北条弥源太】さんは、鎌倉幕府の中心である北条氏の一族で、鎌倉に住んでいた武士なんだ。【弥源太】さんは、幕府での地位も、相当高く、幕府の中枢(最も大事なところ)の人々と、深いかかわり(つながり・関係)があったんだね。いつご信者となったのか分からないけど、お祖師さま(高祖日蓮大士)をシッカリお守りされたお方なんだ。今回は【北条弥源太】さんのお話をするね。
 文応元年(1260)7月、お祖師さまは鎌倉幕府の権力者に【立正安国論】 (平成30年8月号の「お祖師さまをお訪ねする物語」を読んでね)という御書(手紙)を差し出されたんだけど、そこに書かれてあった《よその国が攻めてくる》という予言が的中(あたる)したんだよ。
 文永5年(1268)1月。蒙古(モンゴル)の国王・フビライの使者が、九州の大宰府(福岡県)に来て『日本の国に攻め込む』と脅かしてきたんだ。そのため日本の国は大騒ぎとなったんだね。
 お祖師さまは、この日本の国の危機(あぶない状態)をのがれるには、やはり【立正安国論】で書いた、《間違った信仰をやめ、今すぐ国全体で御題目のご信心をさせていただかなければ》と強く思われたんだよ。
 そこで、公の場(多くの人の目の前で)で他宗の代表者と対決(どちらの教えが正しいかをハッキリ決めること)をし、《御題目のご信心》が正しいことを、幕府や多くの人々に分かってもらおうと考えられたんだ。
 お祖師さまは、鎌倉幕府の代表者や他宗の代表者にあてて、全部で11通の挑戦状を送ったんだ。それを【十一通御書】というんだね。
 【北条弥源太】さんは、鎌倉幕府の中心となる北条家の一族で、幕府の要人(重要な地位にある人)だったから、この【十一通御書】を、お祖師さまから受け取った11人の内の1人なんだよ。
 一族の北条家のほとんどの人たちが「念仏」や「禅宗」などの信者で、お祖師さまの話を全く聞こうとしなかった中で、【北条弥源太】さんが、いつ、どんな理由で、《御題目のご信者》となったのかはよく分からないんだ。
 でも、何か願いごとがあったみたいで、お祖師さまにご祈願をお願いされているんだ。そして、ご祈願をしてもらうために、刀を二振り(2つ)ご供養されているんだよ。
 お祖師さまは、一流の刀工(刀を作る職人)が作った刀をご供養された【弥源太】さんの立派なご信心への思いを、とても褒められ《お願いがかなうように頑張って御題目をお唱えしなさい、私もお唱えしますから》と励まされたんだ。こんな温かい言葉をいただき、【弥源太】さんは、熱心な《御題目のご信者》となっていくんだよ。
 そして、ある時には【弥源太】さんは、北条家の一族だから誰も知らないような幕府の情報を知っていて、それをお祖師さまにお話して、ご奉公に役立ててもらおうとしたんだね。深くお祖師さまを信頼され、御題目のご信心で日本の国を良くしようとされたんだよ。
 【北条弥源太】さんは、北条家の一族なんだけど、非常に謙虚(ひかえめ)に、そして素直に、お祖師さまに帰依され、その教えに従って生涯《御題目のご信心》を貫かれた立派なご信者さんなんだね。