ほんもんぶつりゅうしゅう
2022年08月03日
第32回 太田乗明
【太田乗(おおたじょう)明(みょう)】さんは、近所(きんじょ)に住(す)んでいたご信者(しんじゃ)の《富木(とみき)常(じょう)忍(にん)》さんの邸(やしき)(家(いえ))で行(おこな)われた、お祖師(そし)さま(日蓮(にちれん)聖人(しょうにん))の説法(せっぽう)を聞(き)いて大変(たいへん)感動(かんどう)し、真言宗(しんごんしゅう)の信心(しんじん)をやめて御題目(おだいもく)のご信者(しんじゃ)になったんだよ。(令和2年4月号の「お祖師さまを巡(めぐ)る人々(ひとびと)」を読(よ)んでね)
 【太田乗明】さんの奥(おく)さんは、お祖師さまとは従兄(いと)妹(こ)(自分(じぶん)の親(おや)の兄(きょう)妹(だい)の子(こ))同士(どうし)で親戚(しんせき)だったようなんだ。また【乗明】さんが、病気(びょうき)がち(身体(からだ)が弱(よわ)い)だったことから、お祖師さまに『御題目のご信心に励(はげ)みなさい』と励まされ、熱心(ねっしん)にご信心に励むようになったんだね。
 【太田乗明】さんは、お祖師さまから沢山(たくさん)のお手紙(てがみ)をいただかれているんだけど、そのほとんどが「漢文(かんぶん)」(漢字(かんじ)ばかりで書(か)かれた文章(ぶんしょう))だったんだよ。【乗明】さんは難(むずか)しい「漢文」の手紙をスラスラと読むことができるとても頭(あたま)の良(よ)い人(ひと)だったんだ。
 【観(かん)心本尊抄(じんほんぞんしょう)(お祖師さまが書かれた重要(じゅうよう)な御(ご)書(しょ)・書き物(もの)) 】は、《富木常忍》さんに送(おく)られたものなんだけど、その御書に付(つ)けられたご挨拶(あいさつ)のお手紙には『【太田乗明】さんにも見(み)せてあげて下(くだ)さい』とあったんだ。お祖師さまから、【乗明】さんがとても信頼(しんらい)されていたことが分(わ)かるね。
 【太田乗明】さんと奥さんは、お祖師さまが、得度(とくど)(お坊(ぼう)さんになる)して鎌倉(かまくら)や関(かん)西(さい)(京都(きょうと)・奈良(なら)・滋賀(しが)・大阪(おおさか)・和歌山(わかやま))で修行中(しゅぎょうちゅう)、いろいろな物(もの)を送って援助(えんじょ)(助(たす)けること)されたんだ。特(とく)に「お米(こめ)」はお祖師さまが、お亡(な)くなりになるまでご供養(くよう)されたんだよ。本当(ほんとう)に立派(りっぱ)なご信者だね。
 お祖師さまは『私(わたし)の父母(ちちはは)のような人だ』と喜(よろこ)ばれ、【乗明】さんには《妙(みょう)日(にち)》、奥さんには《妙(みょう)蓮(れん)》と、お祖師さまのご両親(りょうしん)と同(おな)じ法号(ほうごう)を与(あた)えられたんだ。
  中山(なかやま)法華経寺(ほけきょうじ)
 弘安(こうあん)5年 (1282)10月、お祖師さまがご入滅(にゅうめつ)(亡くなる)されると、《富木常忍》さんは得度して《日常(にちじょう)》と名乗(なの)り、住(す)まいを「法華寺(ほっけじ)」というお寺(てら)にして住職(じゅうしょく)となったんだ。
 また【太田乗明】さんも、自分の住まいを「本妙寺(ほんみょうじ)」というお寺にして、お祖師さまの元(もと)で修行(しゅぎょう)していた次男(じなん)の帥(そつ)公(こう)(日高(にちこう))が「本妙寺」に入(はい)り、御題目の教(おし)えを弘(ひろ)めることになったんだね。
 後(のち)に、この「法華寺」と「本妙寺」は合体(がったい)して、現在(げんざい)の「中山法華経寺」というお寺(てら)になったんだ。お祖師さまの御真筆(ごしんぴつ)(日蓮聖人が書かれたもの)で、国宝(こくほう)の【立正安(りっしょうあん)国論(こくろん)】や【観心本尊抄】などの御書が残(のこ)っているお寺だよ。
 【太田乗明】さんは、《富木常忍》さんや前(まえ)にお話した《曽谷(そたや)教(きょう)信(しん)》さん(令和3年5月号の「お祖師さまを巡る人々」を読んでね)と同じように、豊(ゆた)かな知識(ちしき)と教養(きょうよう)を持(も)った武士(ぶし)で、お祖師さまにとって、とて心強(こころづよ)いご信者だったたんだね。