ほんもんぶつりゅうしゅう
2022年12月06日
高祖日蓮大士のみ教のままに…いのち
新型コロナウイルスが終息する気配がなかなか見えてこない。心配なのは「自殺する人が増えている!」と言う点だ。
 コロナの影響で「不安やストレス」を抱え、またコロナによって失業してしまい、それが原因で「自殺」するという人が今、増えているそうだ。
日本はもともと先進国の中でも「自殺率」が突出して高い国。20年程前は年間の自殺者数が3万人を超えていた。今もなお毎年20,000人以上の人が自らの命を絶ってる。
 そこで、今回は【命】ということについて少し考えてみたいと思う…。
 『蒼い岸辺にて』
 作家・朱川湊人さんの『本日、サービスデー』という本の中の『蒼い岸辺にて』という短編小説があるが、これを当方の意訳にてご紹介させていただくと…、
 20歳の女の子が、人生に絶望し睡眠薬を大量に飲み自殺をはかった。意識を失い気がつくと、目の前には大きな川があった。そう、それは《三途の川》。
 その川岸には川越人足の男が1人立っていた。男は『今からお前を向こうに連れて行く!』と言いって、女の子の顔をジッと見た。
 すると『何だお前、寿命前か。厄介な奴が来たな。寿命前の奴はこの世に執着が強く、なかなか魂が抜けない。寿命を全うした人は、魂がスッと離れるから、すぐに向こうに連れて行けるが、寿命前の奴は、なかなか魂が離れないから、連れて行くのが厄介なんだ。まぁ、ちょっと、ここで、魂が離れるまで時間を潰すか』と言う。
そして、男は『時間があるから、その間に、お前の《未来のゴミ》を捨てておこう』と言う。女の子が何のことかと思っていると、男が沢山の卵のようなものが入った大きな袋を出して来て『これが、お前の《未来のゴミ》だ!』と言う。
女の子が『何それ?』と聞くと、男は『これはお前がこれから掴むはずだった未来だ。しかし、お前は自分の都合で死んでしまったから、もう用がない。だから川に捨てる!』と言う。
まず最初に捨てたのが『これは生涯お前の親友となるはずだったAさんだ。もう出逢うことがないから捨てる。次にこれはお前の恋人だ。これも捨てる!』。
その時、女の子が『えっ、私に恋人なんて出来るの?こんなデブでブスなのに』『いやいやお前、中々いけてるぞ、でも、もう用はないな』と言って捨てしまった。
 捨てた後で『この男は捨ててもいいんだ。お前は二股を掛けられていたんだ。どうしようもない男だ。でもな、お前は、二股を掛けられてガッカリするんだけど、その後、ダイエットをして自分を磨いてすごく綺麗になるんだ。そして、本当の旦那さんと出逢うんだ。でもこれもいらないな!』と言ってその卵も捨ててしまった。
それから2つの卵がポンポンと捨てられた。女の子が『それ何?』と聞くと、『お前の子ども達だ!』と言う。何か悲しい気分になった…。
そして、また別の物が捨てられ『何それ?』と尋ねると、『絵本だ』と言う。女の子が『私は、子どもの頃から絵を描くのが好きで、絵本を出したいと思っていた。でも才能がないと思って諦めていた』と言う。
すると、男は『お前は努力を続けていき絵本を出すんだ。そして「文学賞」を受賞する。どんどん、世界を広げて行き、沢山の仲間が出来、幸せな人生を歩む。そう言う卵が沢山あるぞ!』と言ってそれらを全部捨てていく。
女の子は『そんな未来があったのか』と、生きていた時以上に落ち込んでしまった。すると、その男は『もしもう一度、人間に生まれることが出来たら、今度はもう少し頑張ってみるんだな。まぁ俺から見れば、人間の悩みなんて、大体たいしたことはない。今度、生まれた時は、もうひと頑張りしてみるんだな…。
もし《生きるか、死ぬか》と選択を迫られた場合、生きる方を選んだ方がいい。そっちの方が絶対に楽しい。さぁ、船を出すか』と言い船を漕ぎ出した。
その時、女の子が『もう1回、元の世界に戻りたい』と言った。『いやぁ、この船は一度漕ぎ出したら、もう戻れないんだ』『まだ2m位しか離れていない、私、それ位なら泳げます!』『残念だがお前は泳げないんだ。亡くなった者は、この水に浸かった瞬間に石になって沈んでいくんだ。可哀想だがお前はもう戻れない!』『戻りたい。お願いします。もう一回頑張ります!』と懇願すると…。
 男は『しょうがないなぁ~、1回キリのサービスだ!』と、オールを伸ばし岸に付けてくれた。そして『早く走って行けっ!』と言われ、女の子はオールの上を一気に駆け抜けた。
しかし、もともと運動神経が鈍かったので、最後にオールから足を踏み外し水に足がついてしまった。
《石になる!》と思ったけど、靴を履いていたので身体が水に触れることなく助かった。そして、水の上を数歩トントンと走り無事に岸に着くことが出来た。
男が『その靴はな、お前に生き返って欲しいと願っているご両親、お姉さん、友達の思いだ。今も病室でひたすら祈っているぞ、そういう人達の恩を絶対に思わなければならないんだ!』と叫んだ。
 そして、最後に、男は『さっき見せた《未来のゴミ》は、お前が現世に戻れば、また、ちゃんと復活する。でもでも、しょせんは、すべて《卵》だ。シッカリ育てないと孵らないぞ。全部、お前の、これからの努力次第だ!』と言うのです。
それを聞いて女の子は涙しながら『ありがとうございました』と言い、元の世界に全力で走って行った…。
あらをしの命や
 人の「運命」というものは本当に分からないもの。「心の持ちよう」、また「努力」によって絶対に変わってくるもの。
そんなことをこの世に生きる全ての人々に、改めて感じさせ、命の「尊さ・大切さ」について教えてくれているような気がする。
 さて、高祖の御妙判に
「命は三千にもすぎてそうろう。(乃至)一日もいきておわせば功徳つもるべし。あらをしの命やあらをしの命や」(可延定業書・佛立宗版御妙判集 第2巻395頁)と仰せだ。
 お互いの【命】は世界中のどんな素晴らしい宝より尊いもの。
 今日一日この【命】があるからこそ《御題目がお唱えできる》《参詣させていただける》《大きな功徳を積ませていただける》。本当に【命】ほど『惜しいもの、尊いものはありませんよ』と、お教えなのだ。
 この世にたった1つのかけがえのない【命】。お互いは、今、生きているというこの【命】を、意識しながら、日々に功徳を積むことを心掛けることが絶対に大事なことだろう。
 あらをしの命や あらをしの命や