ほんもんぶつりゅうしゅう
2014年08月11日
足の御奉公でいただいた健康の御利益
第9支庁・松風寺 青山清子さん(仮名)
 
 
 ありがとうございます。私は大正2年生まれですが、幼いときから胃が悪く、健康には恵まれない状態で育ち、やがて結婚をいたしました。昭和20年前後には、その胃に激痛が続くようになりました。今、京都にいる娘の弘子が3歳の頃でしたが、痛みが始まると自分の手でお腹を押さえ、背中を丸めて我慢して、「弘子、来て」と娘を呼びます。弘子は心得たもので、障子を支えにして、そっと私の背中に乗ってくれるのですが、その体重が適当な圧力となるのか、しばらくすると痛みが治まりました。そんな調子で、当時は病院に行くのも容易ではなく、いつも痛みが治まるのを、じっと待つしかありませんでした。
 
 当時の私の住まいは内宮町で、裏には、もう亡くなられた岡本ツギ子さんが暮らしていました。ですから、岡本さんのお家に、松風寺のご信者さんが来られ、御題目を唱える様子を目にしていました。ある日、その岡本さんのお家に、局長の御奉公をされていた故・山田峯松さんが来られ、私のことを聞いて、早速私の家に入信のお勧めに来られました。私は仕事から帰ってきた主人に、山田さんから聞かされたご信心の話をいたしましたが、主人は頑固者で私の話を聞いてくれません。しかし、私はどうしてもご信心で、胃の痛みから救っていただきたいと思っていましたので、しばらく経って、何度目かのご信心の話を、主人に哀願するようにしたのです。すると主人は、いつもと少し表情を変え、険悪な言葉ではなく、自分は信心をしないが、私がしたいのならそれは良いと言ってくれたのです。私は早速、岡本さんを教化親として懐中御本尊さまをお迎えし、ご信心の第一歩を歩みはじめました。
 
 主人は食品加工の技術とボイラーマンの資格を持っていましたので、スチーム熱量作業のため、毎朝4時頃に出勤していましたので、私の御奉公もその時間から始まりました。教化親の岡本さんは非常に視力が悪く、毎朝私が手を引いて、松風寺まで朝参詣をさせていただきました。御講やお助行の範囲も広く、三津浜、高浜、菊間、北条など、内宮町から歩いて御奉公をさせていただきました。町中では下駄を履き、野道になると藁草履に履き代えての御奉公でした。腰にはお弁当と予備の履物を巻きつけて、とにかく毎日毎日、一生懸命に歩いてご参詣を続けているうちに、いつしか胃の痛みもなくなり、健康の御利益をいただくことができました。
 
 頑固な主人も、そうして健康の御利益をいただいた私の姿を見て、二人揃って御題目を唱えることができるようになりました。昭和56年に78歳で帰寂しましたが、最後はほんとうに静かな臨終でした。
 
 私は今年90歳になりますが、さすがに年齢的に衰えはしておりますものの、健康で六十年も御奉公をさせていただいております。皆様、昔はみんな足の御奉公で御法さまから徳をいただきました。どんどん歩いて、ご信者さんや困っている人のところへ訪ねてください。きっと元気に毎日を過ごさせていただけます。ありがとうございました。
 
 
平成15年10月19日発表