ほんもんぶつりゅうしゅう
2013年09月20日
また歩くことができました——お父さんお母さん本当にありがとう
第3支庁・本要寺 梅村和恵
 

梅村和孝さんのこと 

 名古屋本要寺のご信者さんに平成14年に亡くなられましたが梅村和孝さんという方がいました。生前は本要寺信徒として色々なご奉公に励まれました。
 参詣課長のご奉公をされていたときのことです。日曜日の参詣が200名を超えるように努力されていました。ある時もし次の日曜日に参詣が200名より少なければ私は頭を丸めると宣言しました。しかしながら残念なことに、その時200名を下回りました。有言実行、翌日サッパリと頭を丸めてきたのは本要寺では有名な話です。
 

和恵さんの異変

 梅村和孝さんには和恵さんという娘さんがいます。二人娘の妹さんです。和恵さんは平成23年5月13日の夜、体に異変を感じました。金曜日の夜でした。何とか週明けまで辛抱しようと考え、月曜日に仕事を休んで掛かり付けの医者に行こうと思っていました。口から戻すばかりのつらい二日間の週末を過ごしました。しかし月曜日になると容態はあまりにもひどくなりました。1人で動ける状態ではなく、救急車で救急病院に搬送されました。
 

和恵さんの信心 

 亡くなられたご両親は和恵さんにきちんと信心を残されました。和恵さんはご両親に教えられた通りに信心を守りました。仕事に行く前の朝のお看経、仕事から帰ってからの夜のお看経を毎日欠かさず続けました。そして毎月自宅でお講を行いました。和恵さん自身もとても立派な信者さんです。
 

医師の言葉

 救急車で病院に着くと医師から即座に腸閉塞と告げられました。腸が詰まり全く機能しなくなっていました。 医師は和恵さんに言いました。
「手術をしなければならない。しかし手術をしても元通りの体に戻るとは保障できない。命の危険もある」
 和恵さんは「手術して下さい」と即答しました。和恵さんには何の不安もありませんでした。私には御法様がついて下さっている。お父さん、お母さんが見守ってくれている。絶対に大丈夫だと。。。しかしこの時に医師は和恵さんのお姉さんに手術してもおそらく助からないだろうと伝えていたのです。
 

足がまったく動かない 

 手術が終わり、かなりの時間が過ぎたような気がしました。意識が戻ったのは手術から10日後でした。自分が生きていると分かり、心の中で仏様に御礼を言いました。両親に感謝しました。そろそろと体を動かしてみました。頭を少し動かすことができました。手も少し動きました。しかし足が動きませんでした。1ミリも動きませんでした。
 医師は和恵さんに言いました。
「腰椎骨折です。腰の骨が折れています。あなたは体重が有り過ぎた。その為に手術中に腰の骨が折れたのです」
  医師は続けました。
「おそらくもう歩くことはできません。しかし頑張れば車椅子で生活できるようになるかもしれません」
 和恵さんの頭の中は、医師の発する沈痛な言葉より生きている事の喜びが勝っていました。病院に搬送されて手術をお願いした時と同じ気持ちでした。私には御法様がついて下さっている。お父さん、お母さんが見守ってくれている。絶対に大丈夫だと。
 

病院での信心ぶり

 1ヶ月が過ぎ和恵さんは姉夫婦に住んでいた住宅を引き払うように頼みました。ご両親から受け継いだ御本尊、御尊像、御戒壇は本要寺に預けることにしました。和恵さんは、毎日病院のベッドで懐中御本尊に向かって周りに気を使いながら小さな声でお看経をあげました。和恵さんの心には御宝前様に対して疑いという曇りは一点もありませんでした。
 1年が経ちました。容態は全く変わりませんでした。相変わらずベッドに横たわったままで動くこともできません。介添えがなければすべてのことができませんでした。それでも気持ちは折れませんでした。いつも御題目をお唱えしました。ときには小さな声で、ときには心の中で。
 病院で御題目をお唱えするにあたり、手術後しばらくしてその時の担当の御講師と相談しました。ご両親から受け継いだ梅村家の護持御本尊を、小さく複写して枕元に奉安しました。唱え親しんだ御本尊に向かうことで、仏様やご両親をより近くに感じ益々安心できました。
 

ご信心のありがたさ 

 つらい病気にかかっていても、このご信心をされている方はやはり気持ちがしっかりしています。気の持ち方が違います。心からご信心がありがたい、御題目がありがたいと思っている人は生き生きとしています。あるガン専門医がテレビ番組で言っていました。
「健康なのに幸せでない人がいる。病気なのに幸せな人がいる。それも治らない病気、不治の病にかかっているのに幸せな人がいる」
 

リハビリ開始

 担当医も真剣に和恵さんを見守って下さいました。「頑張りなさい。あなたが頑張れば僕も頑張れる」
 1年8ヶ月になった時、医師はリハビリを始めるように言いました。長い間寝たままの体を、まずは機械を使って、慎重にベッドの上で起こします。長期間横になっていたので急に起きると貧血を起こしてしまいます。貧血を注意しながら約10日間ベッドの上で体を起こす練習をしました。
 その後、車椅子の練習をしました。すべて順調に進んで行きました。順調なリハビリの進行に周りの人たちも喜んでくれました。リハビリを始めて1ヶ月が過ぎ、いよいよ立つ練習の日が来ました。車椅子を平行に渡された二本の棒の間に固定し、両手を支えに立とうとしました。 その時、周りの人の喜びは驚きに変りました。立ちあがる事ができただけではなく、わずかながら歩を進めることもできました。リハビリが順調に進んでいたとはいえ、医師からは良くても車椅子での一生と言われていた和恵さんは、大きなご利益をいただきました。
 

医師の驚き

 わずかに歩けた和恵さんを見て一番驚いたのは担当の医師でした。和恵さんと同じ症状の人たちが退院できるようになるのには少なくとも3年以上、通常なら4年程度を要します。
 後日、医師は、2年足らずで歩けるようになった和恵さんの奇跡的な回復を学会に報告する準備を進めていると教えてくれました。この医師は数少ない脊髄の専門医です。御法様の御計らいで、この名医のいる病院に和恵さんは運び込まれたのでした。
 

退院

 和恵さんは1年10ヶ月で退院しました。杖を使いながらも自力で歩けるようになっていました。その上、入院中の生活習慣により体重が大きく減り、高血圧も治り、高かった血糖値もほぼ正常になっていました。もし退院できても施設に入所し、車椅子での一生になるだろうと言われていた和恵さんは、自力で新しい自宅に向かうことができました。 
 腸閉塞で倒れてちょうど2年後の5月、和恵さんは一人で車に乗り、本要寺の御宝前に御礼のご挨拶に向かいました。
 「無事に退院できました。また歩くことができました。御法様ありがとうございます。お父さんお母さん、ありがとうございます」
 
 
御教歌

妙法を持つ身なれば釈迦諸仏  菩薩諸天のつねに守護あり