ほんもんぶつりゅうしゅう
2014年05月21日
脳橋出血からの奇跡の生還
第9支庁 松山・松風寺 日山善信さん(仮名)
 
 ありがとうございます。平成十四年十一月十一日の朝のことです。朝参詣が終わって自宅に帰り、いつものように自分なりの計画を立てて一日を過ごそうと思っていたところ、急に眩暈がして足がふらつきました。「これはいかん」と思い、アパートの外へ出た途端、外に置いてある洗濯機の横に、くにゃくにゃっと倒れてしまったのです。全身の力が抜け、自分ではどうすることもできません。人を呼ぼうとしても口が痺れて、声が出なくなっていました。そのまま身動きができなくなり、アパートの二階の人にも、一階の人にも発見されず、そのまま夜を過ごすことになりました。
 
 夜が明けても状況は変わりませんでした。誰にも発見されないまま、二日目の夜も更け、三日目の夜を迎えました。心はあせりますが、どうすることもできません。さすがに三日目、十三日の晩は、「もうこれが最後かな」と思い、一生懸命に御題目を唱えておりました。そのとき、下から声が聞こえました。必死の思いで「助けてくれ」と叫ぶと声が出て、階下の人が気づいてくれました。最初は冗談で言っていると思ったようですが、やがて私の状況を分かってくれ、救急車を呼んでいただき、日赤へ運んでいただくことができました。救急車の「ピーポーピーポー」と鳴るサイレンに安心したのか、CTに運ばれてから急に頭が真っ白になり、何も分からなくなりました。以後一週間ほど、記憶が不安定で、具体的なことは何も覚えていません。
 
 頭の中はパニック状態で、刺激の強い、幻覚のような、訳の分からない夢を見つづけました。私のアパートは空っぽで、帰るところがありません。御戒壇は荒らされ、御本尊さま、御尊像さまのお姿がなく、深い絶望感を覚えました。病室に入ったつもりがアパートに寝かされ、顔にはくもの巣が張っています。そんな混乱した思考の中で、「病院に戻してくれ」「殺される、独りにしないでくれ」等、意味不明の叫び声をあげていたようで、看護婦さんに「何を言っているの。ここは日赤の病室よ」と何度もたしなめられたと、あとで聞かされました。
 
 少しずつパニック状態が治まり、ようやく正気に戻ったのは、十一月二十日頃だったと思います。気が付くとお尻にはオムツが当てられ、尿道には管が通され、食事は鼻から長い管を入れて、胃に直接流動食を流し込む状態でした。水が一滴も飲めない辛さも知りました。口が渇くと、脱脂綿に水を含ませて潤わせてくれるのですが、ともかく、この頃が一番辛い時期でした。
 
 やがて室内でのリハビリが始まりました。まだ身体が思うように動かず、車椅子を利用してではありましたが、十一月二十五日頃にはトイレに自分で行けるようになりました。この頃から地下のリハビリセンターに、看護婦さんに付き添われて通うようになり、発声練習や身体の機能回復訓練を重ねて、徐々に快復の兆しもみえるようになりました。関節が動くようになり、日記が付けられるようになったのは十一月二十九日でした。
 
 私の病気が、脳橋出血だったと説明を受けたのもこの頃でした。医師の話によると、脳のこの部分の出血は、ほとんどが助からないそうで、たとえ一命を取り留めても、植物人間になるか、半身不随になるのが普通だそうです。担当医の今までの経験でも、こうしてほとんど後遺症を残さずに助かるケースは二人目だと言いますから、改めてよく助かったものだと驚き、御法さまに感謝をさせていただきました。
 
 その後の快復も早く、十二月四日にはリハビリ棟へと移ることができました。翌五日には流動食がお粥とゼラチンの普通食に変わり、八日からは普通のおかずをいただけるようになりました。お風呂の実習では自分で身体を洗えるまでになり、服の着脱もできるようになりました。十一日には洗濯の実習も自分で出来、日赤でのすべてのリハビリが終了したのですが、まったく特急なみの自分の変わりようには驚かされました。
 
 十二月十二日、御導師さま、奥さま、中島連合長のお世話で高井の里リハビリテーション病院に転院し、しばらくリハビリに専念することになりました。ここに移って間もなく、歩行器と別れを告げ、二本足での歩行訓練をはじめました。バランスを取りながらの階段の昇降も、二十五日にはできるようになり、翌二十六日からは一般の温泉棟へ一人で行くことも許されました。外での歩行訓練が楽々とできるようになり、一月二十二日には通常のリハビリを終えて自主訓練に移り、テーブル拭きやおしぼり巻きなどの手先の訓練や、作業療法室でのバランス訓練など、いよいよ自宅復帰に向けた最終の治療に入ったのです。
 
 こうしてすべてが順調に運び、五月二十九日に無事退院。何の後遺症も残さず、むしろきちんと管理された生活の中で、入院前より元気になって自宅に戻れたことは、ほんとうに御宝前さまのお計らいとしか言いようがありません。私がこのたびのような体験をしたことは、慢心していた私に御宝前さまが大折伏をくださり、怠っていた私の心を蘇らせてくださった大きなお慈悲と受け止めております。今更ながら懈怠・謗法の恐さを知りました。
 
 以後は余事を考えず、ただ信心口唱に徹していきたいと願うのみです。もう一度ご信心をさせていただける機会を与えてくださった仏さまのお慈悲を忘れず、またいろいろとご心配をいただいた皆様のご恩に報いるためにも、心を入れ替えて御奉公をさせていただこうとの思いで、今は胸がいっぱいです。
ありがとうございました。
 
平成15年8月発表