ほんもんぶつりゅうしゅう
2014年09月20日
「母からいただいたご信心」—3年間の増益寿命のお計らいいただく
第2支庁 大阪・良風寺 奥山恵子さん
 
 
 ありがとうございます。私がこのご信心にお出値いさせていただいたのは、母の病気がきっかけでした。母と同勤だった本田宣子先生が、母が白血病だということを聞いて、「お寺にお参りしてみませんか?」とお勧めいただいたのです。しかし母は「私は浄土真宗なのでお参りは結構です」とお返事したようで「本田先生が『では、恵子ちゃんをお参りに誘っていいですか?』と尋ねてこられたよ」と申しました。母は私に「自分のお願いでお参りしたいのなら、行きなさい。でも、私のご祈願でお参りするんだったら、お参りしてもらわなくていい」と言いました。
 
 母は精密検査で、ATL(成人T細胞型白血病)という病気だということがわかり、既にリンパ節に転移していて、切除できない部位のものもあり早ければ2ヵ月の余命、と先生から説明を受け、私は愕然(がくぜん)としました。それまでの私は、母に心配をかけたり、親不孝をしていました。でも、母と一緒に過ごせる日があと2ヵ月しかないと思うと涙がこぼれてきて、「よし、後でふり返った時に悔いの残らない2ヵ月にしよう」と思い、本田先生に「お寺(熊本・長薫寺)にお参りさせてください」と申し上げました。
 
 
〈朝参詣と百本祈願で〉
 
 そして、西村厚明御講師(今は三田本有寺のお住職)よりお話をいただき入信させていただくこととなりました。その時ご教導をいただいたのは、
 
○明日より、午前5時50分からの朝参詣に間に合うように、お参りさせていただくこと。「そんな早くに、とてもお参りできない」と思いましたが、明くる日、なんとかお参りに間に合わせていただくと、教化親や同じ組だという方々が私が来るのを待っていて下さり、私の姿を見て、とても喜んで下さったのが嬉しかったです。
○家にご本尊をお迎えし、朝夕お参りさせていただくこと。
○月1回、宅御講というお参りをいただいて、お味噌汁とご飯でいいから、手作りのものを御講師や組の方に召し上がっていただくこと。
 
と言われました。
 
 お参りをさせていただいているうちに、百本祈願という、すごいご利益のいただけるお参りがあると聞き、短い期間でさせていただく程ご利益が大きいとのこと。本堂に行くと前には百本祈願用のお線香立てがあり、何人かの方がご祈願されていました。「私も百本祈願をさせていただきたい」と御講師に申し上げ、させていただくこととなりました。初めは足はしびれ声はかれて、眠いし、正直、もうやめたいと思ったこともありましたが、七日間でなんとかさせていただくことができました。
 
 次の百本祈願は前より頑張ろうと五日間で、教化親も忙しい中、横でご祈願を毎日トータル五十本程、そして、組長さんはじめ、組の方がリレーで夜までお助行をして下さり、また、知らない方からも「お助行させて下さい」と言っていただいたり「後ろからいつも応援しているよ」とお励ましをいただいたり、本当にありがたく思いました。西村御講師も、夜十時頃、ご奉公からお戻りになられて本堂にご挨拶にみえたとき、私の姿を見るとお助行をして下さいました。これも涙が出るほどうれしかったです。
 
 皆様のお助行をいただき、お陰様で母は検査の度に数値がよくなり、先生も「不思議だ。ここまで回復したらゼロリスクです」と言っていただく程、回復させてもらったのですが、母は、自分が治療を頑張ったからだと思っており、私は、お慈悲を下さった御宝前に対し、本当に申し訳ないと思いました。
 
 
〈再発した母が信心を〉
 
 そしてある日、再発したことがわかりました。私は「母が一緒にお参りさせていただけるようになれば、きっともう一度お助けいただける…」と思い、これまでの母の失礼のお詫びと「一緒にお参りがさせていただけるようになりますように、できることならもう一度母をお助け下さい」と心からお願いしました。
 
 主治医の先生からは「今回のは白血病型という型で転移が早いです。今回は残念ながら治療法がありません」と言われ、母は「もう私に合う治療法はないのですか?」と言って泣きました。
 
 母は、入院中の病院から月一度の大学病院に通院の折、初めて長薫寺にお参りさせていただくことができ、西村御講師や教化親、組の方々がお寺で迎えて下さり、色々とお話をして下さいました。
お寺にお参りして自分の身体が楽になったこと、皆様が笑顔でお迎え下さったことが嬉しかったようで、それ以来、大学病院の帰りにはお寺にお参りをさせていただけるようになりました。
 
 外出の折もベッドの懐中御本尊を自分からお持(たも)ちして「今日はこの子のお参りしているお寺にお参りに行ってきます」と看護婦さんに言ってくれるようになり、お寺にお参りさせていただくのが楽しみで、御題目もお唱えさせていただけるようになりました。
 
 しばらくして、主治医の先生から「病気があそこまで進んで、普通は考えられないのですが、このところ、とても数値がいいのが続いています。この分なら退院しても大丈夫ですよ」と言っていただき、車椅子での生活ができるよう家を改造することとなり、嬉しい悲鳴となりました。母と二人、自宅で過した半年間は音楽を聴きながらドライブに行ったり、温泉に入ったり、忘れられない思い出が沢山できました。本当なら、母の寿命は3年前で終わっていたはずで、いただいた3年間の増益寿命のお計らいは、ただただ御宝前のお慈悲でした。
 
 
〈母が書いていたもの〉
 
 これは、母が書かせていただいたものです。
「私はATL(T細胞型白血病)が再発したのでは、とのことで再入院いたしました。今回の抗癌治療は1回目と違い、味覚障害も出て、食欲がなく、気力も乏しく、副作用に悩まされました。一番いやだったことは、そけい部を切開して管を入れ、直接抗癌剤を入れる治療でした。これには精神的にも不安定でイライラいたしました。
 ある日、担当医から娘に話したいとのこと。『副作用が強く出るので続けるかどうか考えている。それを家族の方に理解していただきたい…』と。結局、一時中断し体調に合わせて、ということになり、この方面に詳しい専門医がお揃いの、NTT病院に転院することになりました。
 今のままだと半年から1年の余命だと聞き、愕然となりました。子どもは『お参りを頑張るから絶対にあきらめないで』と申しました。転院後、1ヵ月半経った現在、娘や周りの人から『元気になった』と言われ、嬉しくなります。
 このように一喜一憂の繰り返しですが、たった一人の家族、そのたった一人の家族に当たり散らし、その時の気分で感情の起伏のままに…。ところが今の恵子は口答えもしないで、至って平常心です。いろいろ申しましても、お寺様でいただく『御供水』を毎日欠かさず持ってきてくれます。それに、私のために皆様が『病気平癒』のご祈願をしていただいてると申します。
 先日、道の駅に娘とドライブ旅行に行ってきました。気持ちのよい快晴で、久しぶりの娘との旅行を喜びました。1ヵ月半前までは、4週間ぶっ通しの寝たきりの状態でした。今の生活が信じられないほどです。今、穏やかな日々を過させていただいていることに改めて感謝の念で一杯になります。」
 
 
〈母の見守りを信じて〉
 
 母は、自分が病気になって、身を削って、私にこのありがたいご信心にお出値いさせてくれたのだと思います。未だこのご信心をいただいていない宗外の方にも、このご信心のありがたいことをもっと知っていただき、皆がご利益をいただいてもらいたいです。
 
 平成15年8月30日、母は75歳で帰寂いたしました。奥山淳願師と結婚させていただき、子供・開も授かり、皆様に助けていただきながらご奉公をさせていただいていることを、見守ってくれていることと思います。ありがとうございます。