ほんもんぶつりゅうしゅう

2024-03-26 00:47

令和6年4月 誌上法門

御教歌

しぬ事を案じるやうなならば 法華経たもつかひはあらじな

大 意

本当に御題目の御経力を信じているならば、たとえ大病を患い命に関わるような法難に遭ったとしても、迷いはないはずであります。
しかし、そのような信心決定は何もなしに出来るものではなく、日ごろからの地道な信行の積み重ねによります。私たちは無常の命であることを知り、今こそ決定の信心を貫き、たとえ辛いことがあったとしても、根気よく信行ご奉公に励むことが肝心とお示しの御教歌です。

◆いろは歌に込められた無常観◆

一、色は匂へど 散りぬるを
  いろはにほへと ちりぬるを
二、我が世誰ぞ 常ならむ
  わかよたれそ  つねならむ
三、有為の奥山 境越えて
  うゐのおくやま けふこえて
四、浅き夢見じ 酔ひもせず
  あさきゆめみし ゑひもせす
一、諸行無常(しょぎょうむじょう)
二、是生滅法(ぜしょうめっぽう)
三、生滅滅已(しょうめつめつい)
四、寂滅為楽(じゃくめついらく)
『涅槃経』「無常偈」
「花は咲き誇ってもいつかは散ってしまうのに、永遠にこの世に生き続けられることができようか、苦しみ悩みの人生を今日乗り越えて、儚(はかな)い夢から覚めて悟りの世界にでました。」(意訳)
*無常は哀れを説くと同時に良き方へ変われる希望を教えられているのです。

◆決定心は自身で積み上げるもの◆

①御法のためならば死んでもよい
というと、何かの宗教信仰にのめり込んで見境がつかない状態を想像しがちですが、本当の決定心とは、お仕えする心が強くなることです。決して命を粗末にすることではありません。
②み教えに従うことに徹する
佛立開導日扇聖人御指南に
「謗法だになくば者也
生死に恐れなく八難に憚りなしと
〽しぬ事を・・・
持ながら案じるは。疑ふ人なり。経云 疑を生じて信ぜざることあらん者は即ち当に悪道に堕つべし うたがふことなかれ。」と仰せです。
 八難(教えを聞くのに妨げとなる八つの境界。地獄・餓鬼・畜生など)に打ち勝つ強い信心前になるよう励むことが大事であるぞ。信者であるならば謗法を戒めるのは当然のこと。仏道修行は功徳を積むための修行と心得ましょう。
せっかくご信心をしていながらいつまでもクヨクヨ悩んでいるようでは、法華経をお持ちする甲斐がないではないか。
故に私たちは真実の御題目に御出値いできた我が身の果報をよろこび、「ご奉公に励んでいれば御宝前は必ず守ってくださる」との強い心をもってご奉公に励むことが肝心とお示しの御教歌です。        
   合 掌