ほんもんぶつりゅうしゅう

妙玉寺


2015-01-14 18:43

速成山話 3

御教歌

  布施すべき財なくても志し

     あらば功徳は深き大海

開導聖人お示しの御教歌です。
財の御奉公の大切さはいつも教えていただいているところですが、
大事なことは金額の多寡ではなく、思い(志し)の多寡であると、お示しの御教歌です。
       ○       ○
今からおよそ1300年前のインドのお話です。「阿育王」という王様がいました。
その治世は社会事業を整備し、国民を手厚く保護して善政を敷いていたので、皆に慕われていました。
又、特に仏教の外護者としても有名で、国が大いに栄えたと記録にあります。
その王様の前世の話をお祖師様が御妙判下されていますので、紹介させていただきます。
少し長いので要約(取意)します。
       ○       ○
「仏様がいつものように多くのお弟子さん達と、御奉公に町に出ます。
するといろいろな方達が御供養を申し出られます。
そんなある時、二人の子供が砂遊びをしているところに出くわしました。
二人の子供は(徳勝)と(無勝)と言います。
二人は仏様にお出会いして、大感激して、何か御供養をしたいと思うのですが、
何分子供なので、何も持ち合わせがありません。
そこで、二人は一番丸くて上手くできあがった砂土で作ったお饅頭餅を
仏様に差し出して、こう言うのでした。
『仏様、今はこの様なものしか差し上げることができません。申し訳ありませんが、
来世は思う存分御供養がさせていただけるように、一生懸命頑張ります・・・』
仏様のお付きのお弟子さんが(食べられない土饅頭餅を差し出すなんて失礼な子供達だ・・・)
とどけようとする手を、仏様は払って、
『ありがとう、此の功徳はいつか大きく身を結ぶでありましょう』と言い、
その子供達の志しを大いにほめ称えたということです。
その後、二人は阿育王とその重臣に生まれ変わり、
ますます徳を積んで、生涯国が繁栄したのです。」(窪尼御前御返事)
       ○       ○
例え土で作った餅饅頭でも、そこに真実の志し・向上心があれば、
将来果報が生まれるということなのです。
開導聖人の御指南に
「金の有りも無しもなし。志しのみ」(講場必携 坤)
私たちは凡夫の常で、つい金額の多寡を気にします。
見栄や体裁で出す人もいれば、反対に出し惜しみする人もいます。
確かに多いに越したことはありませんが、大事なことはやはり「志し」ですから、
常に前向きに取り組んでいくことが肝心です。