ほんもんぶつりゅうしゅう

清流寺 オーストラリア教区


2021-12-13 11:33

12月のゴリカン

ありがとうございます。荒木香里です。久しぶりのブログ更新となりました。あっという間に時間は過ぎて、今年もあとわずかとなりました。こちらは、真夏。日差しが強く、ビーチへ行きたくなる年末です。

 先週、毎月恒例のゴリカン(御利益感得助行)がありました。今回は、初めて、参加者それぞれがリモートを通しての3時間の御題目口唱となりました。年末も近づき、仕事や家庭の事情で都合が付きにくい中、リモートでありながらも、心を一つにしながらそれぞれの御宝前に向うことができたように思います。

 御信心中心の日常生活とはいえ、3時間の御題目口唱を自分一人でやってみようと思っても、現実的には結構難しいのではないでしょうか。よっぽどの事が無い限り、途中で集中力が切れて、何か用事を思い出して用を足してみたり・・・。一人なら、それもあり得ます。

でも、今回はリモートを通して、自分と参加したメンバーが時空を超えて一つになった感覚がありました。そのお陰で、3時間口唱もあっという間に感じました。そして、私には御看経が始まって1時間半が過ぎた頃、御宝前と一つになれた感覚があったんです。感応道交とはこのことでしょうか。

 クィーンズランド組でゴリカンを始めた当時の今年5月に、息子の心に抱えている問題が明らかになりました。それ以来、悩んでいる息子と日々向き合うことを始めて半年が過ぎました。その間いろいろありましたが、少しずつ状況が良くなって、御信心を通して更に良くなる気配を感じていました。でも、どこかで息子の為に腹を括りきれていない自分がいるようにも感じていました。自分は息子の為に頑張っているという我があったように思います。

でも、今回、御宝前に向かい3時間御題目口唱させていただいたお陰で、息子を悩ませて、苦しめていた本当の原因は、私自身にあるということを突き付けられた気持ちになりました。御信心をしていながら、息子を悩ませていた私の母親としての言葉遣い、行動は罪障そのもので、その根っこの深さは計り知れません。御宝前は、私がそれに気づくにまで、慈悲深く待っていて下さったのだと思いました。今まで息子の御祈願をしていましたが、それ以上に必要なのは、私が自分自身の罪障を認めて、真剣に、腹を括って罪障消滅に取り組む事だと思いました。それによって、御宝前はまた違った経過を与えて下さると思います。

そのゴリカンから数日が経ちました。「改良の幅が御利益の幅。」とご指導いただいたことがあります。私は信心改良と同時に、家族への怒り方、言葉遣いを改めました。それだけ息子に対する申し訳なさがあったのです。すると、家族の雰囲気が少しずつ変わってきました。ゴリカンで感得させていただいた御利益。私にとって、今回の気づき程自分の改良に影響を与えたものは無かったように思います。自分が変わることで主人や子ども達への、ある種の救いになる事を感じています。これからも、自分の改良に努めていきます。それが菩薩へ近づく道であると思っています。

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