日隆聖人のご紹介

 
 日隆聖人は室町時代の至徳2年(1385)、今の富山県浅井郡嶋村の館に桃井右馬頭尚儀公の子息としてご誕生になりました。南北朝の戦乱の中、12歳で入寺得度。天性怜悧な少年であったため、14歳で帝都京都にでて本格的に仏教を学ばれ、やがて日蓮聖人のおしえの真髄は、法華経本門八品にあらわされた、上行菩薩の伝える御題目にあることを覚られます。
 
 お祖師さまの時代から100年以上の時が経過し、すっかり習損じてしまっていた当時の法華宗をはじめ、余宗を改良させるご奉公に日隆聖人は精進されます。織田信長が亡くなったことで知られる本能寺をはじめ、近畿一円から北陸、岡山方面にかけて計14カ寺を建立されたのでした。これらは全て上行所伝の御題目による現証布教(現証の御利益を顕すことで相手を改心させる布教の仕方)によるものでした。ご晩年、尼崎の本興寺に入られてからは、後世に正しい高祖のみ教えを遣すための膨大な著作の執筆活動とお弟子の養成に尽力され、81歳をもってそのご生涯を閉じられました。
 
 本門佛立宗では、日隆聖人を「蓮師後身 本因下種再興正導 門祖日隆聖人」とお呼びします。「蓮師後身」とは「日蓮聖人の生まれ変わり」という意味です。日蓮聖人が亡くなられたのが弘安5年10月13日で、その約100年後の至徳2年10月14日に日隆聖人はご誕生されましたので、この生滅の日の連なりからお祖師様のご再誕と信奉されています。他にも、ご誕生の時に庭から産湯が湧き出したという奇瑞や、ご誕生時の国情が『下克上』の時代で同じであったこと、そしてなにより弘められた仏様の教えが一致していたということです。日隆聖人は日蓮聖人と同じく、法華経の本門八品に説き顕された仏さまの真の教え、上行菩薩所伝、本因下種の御題目を我も唱え他にも勧めて唱えさせる『口唱折伏行』に、ご一生をかけられました。これらの理由から「蓮師後身」とお敬いを込めてお呼びするのです。
 
 「本因下種再興正導」とは、日蓮聖人ご入滅後100年余りを経過して、その清き教えに濁りが生じていたのをもとの流れにお戻しくださった、という敬意を示したものです。仏様から日蓮聖人へと受け継がれた、本門八品所顕、本因下種の御題目のご信心。その尊い教えを再興され、我々を正しく導いて下さったその大恩に対し、本因下種再興正導とお呼びするのです。
 
 「門祖」とは、八品門流の祖という意味で、日蓮聖人の御本意である本門八品の教えを再興正導された、日隆聖人を尊称する言葉です。