7月10日の隆宣寺日記

「余計な仕事はしたくない」と思うのが人情だと思いますが、せめて残業代が出るとか、ご褒美があるなら「無い話」ではないと思います。つまり、報われない《余計な仕事》をしたくない訳です。それぐらい世の中には、報われないこと、見合った対価が無いことがあります。「なんで、こんなことまで…」「なんで、俺がせなあかんねん!」そんな声が聞こえてきそうですし、思わず自分の口からも出てしまいそうです。
 
でも、どんなに余計だと思っていたとしても、どんなに嫌々、渋々だったとしても、やったらやっただけのことが必ずあるものです。もしかしたら、自分が望むような報われ方、自分が欲しい対価じゃないかもしれませんが、それが自分自身のプラスになっていることは紛れもない事実。そこに気づくか、気づかないかが人生の大きな分かれ道だと言えますし、もっと言えば、その《プラス》を上手に使えるか、使えないかがポイントです。
 
極論、私達は自分のやりたいこと、したいことから手を付けるものです。やりたくないこと、したくないことは、可能であれば避けて通りたい。そんな風に「好き嫌い」で物事を選択していると必ず偏りが出ます。いわゆる、偏食であったり、食わず嫌いであったりと同じです。それは普段の生活の中にもあるでしょうし、仕事や勉強でもあります。
 
人の話は聞かないけど、自分の話はいくらでもする人。料理を作るのは好きだけど、洗い物が大嫌いな人。洗濯物を干すのは何でもないけど、たたむのが苦手な人。外回りは機敏だけれど、事務作業は遅々として進まない人。身体能力は抜群だけど、球技が全くできない人などなど。これらと全く正反対の方もあるでしょうし、どっちもOKの人、どっちもNGの人もあるでしょう。
 
たとえ「こんな余計な…」と感じるものであったとしても、それが思わぬ形で、私達の偏りを補整してくれていることがあります。自分をコントロールして過不足なく生きるのは難しいことです。だからこそ、巡り巡って自分のところに回ってきた「余計な〇〇」をポジティブに受けてみてはどうでしょうか。
 
もしかしたら、お寺のことや、ご信心のことも、普段身近に無い方にとっては「余計な〇〇」になるかもしれません。どうしても「こんなことに時間・体力・お金を使うなら…」と思えてならない。実は、私もそんな風に思ってしまっていた時期がありました。でも、それを渋々でも嫌々でもやっていくうちに、少しずつ得られるものがあることに気づき始めたのです。
 
嫌だと思う、したくないと思う、避けて通りたいと思う…ということは、それだけ遠ざけてきたという証拠でもあります。ということは、それが今の自分にとって最も不足しているものであり、今の自分にとって最も必要なものである可能性が大です!!お寺のこと、ご信心のことが無駄になること、徒労に終わることは絶対ありません。むしろ、やったらやった分だけ必ず人生は変わっていきます。嫌々でも、渋々でも大歓迎ですので是非、お寺にお参りください♪
 
☆朝参詣の御法門は【ここをクリック】(YouTube)
 
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松本良光 [隆宣寺日記] 2020-07-10 10:17:00

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