ほんもんぶつりゅうしゅう
2018年11月01日
梶本日裔上人 最後の放談  ぜひ佛立の改良運動をやってほしい 一番の宝・御題目をいただいて気張らねば
平成29年9月2日、法寿95歳をもって化を寂光に遷された佛立第19世講有・梶本日裔上人。本紙にも毎年、新春放談をお寄せいただいていたが、昨年4月6日開催の最高顧問会議終了後、「もうこれが最後…」とインタビューにお応えいただいていたのである。
先月・10月号でもお伝えさせていただいたが、第一周御忌を無事に終えられた今、ご遺族の了解を得て、日裔上人最後の放談を、ここに謹んで掲載させていただく。
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 毎年、新春放談としてお話ししておりましたが今年(平成29年)は山内日開
上人も御講尊となられてお話いただきましたので、私の方はお休みさせていただ
きました。
でも、私ももう先が無いですから、生きている間に言いたいことを言っておきたいと、ただの放談として取り上げていただきました。何をしゃべるか分かりませんが、どうぞ私の遺言代わりだと思って、辛抱してお聞きください。

心と物のバランス
私が今、大変心配しているのは、物と心がどうなるかということなのです。このことは、内閣総理大臣だって学者だって目の前のことだけでね、そういう所まで考えてくれる人が無いんですよ。
しかし、今の地球、今の時代の、その先を考えたらね、5年か10年か分かりませんが、このまま進んだら、物と心の「ひずみ」がだんだん開いてしまう。そして、これが開きすぎたら、人類は滅びてしまいますよ。
だから、それを心配している人もあります。ありますけれども、今、物質文明を取り込んで進んでいる人たちは、そこを見逃すというよりも、目をつぶっています。
例えば原子力。あれだって分かっていながら止められない。止めたら何でいかんかと言うと、そこで仕事している人がいる、と言うてます。けれどもね、それよりも原子力は海にも出ているでしょ、どんな形かは知れんけれども。
結局、人類と原子力との勝負になる。向こうは何も勝ち負けなど無いけれども、人間が勝てるとは思えませんねえ。海が全部汚れたら、どういう方法で逃れるのか知らんけど、本当に危ないですね…。
結局、産業革命までは良かった。チャンバラもあったけれども、ケンカで済んでいたところがね。産業革命というのは、これが進んだら機械を持つようになった。機械を持つようになってもそんなに怖くはない、進んでいくのはゆっくりだから。
ところが、そこに石炭石油、エネルギーが発見された。この機械とエネルギーの2つを合わせると、ドンドン品物が出来る。つまり経済、金儲けになるんですよ。
そうでしょ。今までは手仕事でやっていたのが今度は機械を使ってやっていく。そして進歩、発達するのが面白いからドンドン研究して、もう人の手などいらないと、ドンドン進んでいったのですね。それがたった200年にもならない期間で、人間を機械の家来にしてしまったのです。
そういう時代にあって、佛立宗も世間と同じ縦の眼鏡でしか物を見ていないのとちゃいますか。しかし、私たちは特別の眼鏡を授かっている。三世の眼鏡です。過去世・現世・未来世を見る眼鏡…。これはやはり仏教しか無いですよ。
それは今の総理大臣、安倍さんだって一生懸命やっているけれど、過去世と未来世は見ていませんからね。でも我々は、それを授かっているわけです。しかし、それを今佛立宗が何とかできるかと言うと、できやしませんね。
それは、今の人がするんじゃなくて、妙法経力だからできるんです、御題目だけはね。御題目の御力・妙法経力は目に見えない。私も分からんけれども、それは大自然の摂理なんですよ。私たちの目では分からない、テコにあわない大自然の原則みたいなもの。それが妙です。大自然です。
だからそういうことからいくと、南無妙法蓮華経という大自然の法、これは他の人には全然わからない。御法に助けていただいたのは我々佛立信者なのですから、我々がうんと気張らないと罪・罪障ですよ。御題目という1番の宝、良いものを貰ったら、それを務めないとね。

改良運動の実践を
 だから私は「改良」ということを、何度も何度も申し上げたいのです。佛立宗は今、開導聖人ご生誕200年慶讃「佛立開花運動」の総仕上げのご奉公に邁進しています。が、その中に、あまり改良ということが出てこない。私は20年前から人に会うたびに「改良、改良」と言うてます。
この改良という言葉は、平成25年の佛立新聞の正月号に載っています。当時の山内御講有の清談の中に、11回も「改良」の字があるということは、これは珍しい。
私は、その清談を拝見した時に「開花、開花運動と言うてるけれど、根が腐っている。どうにもならん」と宗会議員が言ったというのを見て、始めは〃何ちゅうことを言うんや。そんなことを言うて何になるんや。でも、こんなこと言う人じゃないのにな〃と思っていたら〃ハーン、これはこの人の口を借りて御宝前が、開導聖人が言いはった〃と、こう思たんです。
それでですね、その人に会って、本人にもそう言いました。そりゃね、改良ということを、一宗独立は昭和22年でしたが、私は戦争から帰ってきてからズーッと見ているんだけれども、個人の改良運動やお寺の改良、支庁の改良と、そういうことを、やってるところもあるでしょう。
ところが宗門の方から、一宗独立してから70年ぐらい経ちますが、その間に全体的な、グローバル的な旋風というような改良運動は、やっていない。ただ各々でやっている。
私が思うに、ここでやらないと、山内御講有の間にやらないと、宗門はダメになってしまう。その山内御講有の口から出た改良という言葉なんですから、ぜひそれを受け継いで佛立の改良運動をやってほしいなと思う。
 教務と信者というもの、この教講という集団は何時も一つ。信者だけでは何もできない、朝参詣もできない。教務と一つになってやるもんですよ。
ところが、教務が減っている。私が講有になった頃には、800人台だったんです。 それが今、600人台ですか、200人近く減っている。800から200減ったら4分の1もです。それを誰も騒いでいないでしょ。
18世日地上人がね、「教務が頑張ったら信者さんは必ず付いて行く。付いて行く宗団です」と宗務総長になられた時に言うてはった。本当、この教講は切り離せない。そしたらですね、この教務200人減を重く受け止めて、その対策をやらないといかん。
もしも600人の教務で行くとしたら、 それ以上に減っていったら500、400と減っていきますよ。でも、それが増えたら、それだけの教務さんを外護せなあかんから、信者さんが増えるに決まっている。だから18世が言わはった。「教務が増えなくちゃだめなんだよ」と。
教務が今減っているということがね、だれにも責任を感じない。今度の髙須御講有にはですね、それを全力投球で言うてくれはったらと思うんです。

 青少年の一座に思う
それともう一つ、私は青少年の一座のことを言いたんいです。今までの青少年の一座は大きなお寺、本山とか東京の大きなお寺や、あるいはホテルを借りて全国からお参りして、そこでお祭りみたいにしていました。だけど遠い所の人はホテルに泊まったり、あるいは新幹線で来たり、お金を使ってですね、5回目まで開催しました。
で、ここまで来たら、あとはね、前の通りにしようとします。今や宗務本庁でも本山でも支庁でもどこでもですね、前の人たち・教講がやったことを、それを自分たちが継いでいるだけですよ。
 開講100年の時にはですね、その10年前に一宗独立して何もかもが変わりました。それが10年経った開講100年で、本当なら一宗独立で変わったんだから、そのままで行けばいいようなものだったのが、これまた変わった。その時は、田中日晨上人が旗を振ってやってこられ、宗制も皆、変わったんです。 (つづく)