ほんもんぶつりゅうしゅう

清流寺


2021-06-06 20:44

オーストラリア ・クィーンズランド地区 ゆかり・バーズリー

ありがとうございます。清流寺所属オーストラリア・クィーンズランド地区のバーズリーゆかりと申します。夫がオーストラリア人、7歳の息子の凜音(リオン)、5歳の娘の真凜(マリン)とブリスベンに在住しています。

 

私は2009年に兵庫県西宮市からオーストラリアへ夫と移住しました。19歳の時に1人で初めて訪れた海外の地がオーストラリアのシドニーでした。全ての光景が私の人生観を180度変え、いつか絶対ここへ戻る!と強く誓ったのを覚えています。紆余曲折を経て、アメリカ・ヨーロッパ滞在を経てオーストラリアへ戻ってきたのは17年後でした。

 

ただ若い時の私は健康が当たり前と思って命への感謝があまりなかったと思います。交通事故は今思えば奇跡的に命が助かり、その後病気をしたお陰で自分が生まれて来たこと、両親へ感謝ができる様になりました。そして弱い人や病気の方の気持ちが少しは分かり、その方の気持ちになれる様になりました。治療をしながら26歳の時にやっと海外へ旅立つ夢を実現した感動は今でも忘れられません。

 

母から幼少の頃からの教えとして「御先祖様があっての私達があるんやで」と普段から祖父母の家の仏壇に手を合わせ、お彼岸、お盆、月命日のお墓参りへ行くこと、お寺さんが毎月家に来られること、は私にとって普通のことでした。オーストラリアへ移住する時には母から「おじいちゃん、おばあちゃんの月命日には必ず日本へ向かって手を合わせなさい」と言われたのを覚えています。

 

本門佛立宗への縁は教化親である荒木香里さんのご自宅に私がマッサージへお伺いしていたことからです。ある日香里さんから私の祖父へ御回向した方が良いことを伝えられました。祖父の死後、祖父が側にいる様な不思議な現象が何度か私だけに起こったことがありましたので、香里さんの言葉をすぐに受け入れることができました。またその言葉は御宝前から頂いたと聞き、思わず御宝前にお線香を上げて御礼を伝えました。その時はまさか海外で仏様に向かいお線香を上げる日がくるとは思いもしませんでした。ただ凄くご先祖様へ感謝を言えたことに清々しい気持ちだったのを覚えています。それから香里さんと御助行をしてとても心が晴れやかになりました。その時はどうしても今御宝前に縋りたいことがありました。

 

私は高齢出産で1人息子に恵まれ夫と楽しく子育てをしていました。111ヶ月後に1人でも幸せだった私達に娘の命を授かりました。海外でも日本人女性の「凜」とした心を持ち、人間として尊敬する大好きな浅田真央さんの様に真っ直ぐ芯が通ったが強くて素敵な女性になって欲しいと「真凜」と名付けました。

 

この上にない幸せを噛み締めている私達でしたが、真凜が18ヶ月頃からいやいや期が物凄く大変で、繊細なのか眠りが浅いのか5歳の今でも夫婦で朝まで熟睡ができたことがありません。そして3歳前から好きなお友達に手が出るようになり、常に側にいて子供の親へ謝る、手が出るのを防止する、追いかけ回すという生活でした。一瞬たりとも目が離せず、とうとう現地の保育園で問題になり話し合いの結果、夫が決断し自ら退園しました。あの時の悲しさは忘れられません。でも現実には共働きの私達でしたので、その日に夫が駆け回って探してくれたお陰で違う保育園へ入園することができました。

 

長男は朝から「ママおはよう!」と笑い穏やかなのに真凜は泣いて叫び怒り、宥めても反対に叩かれたり暴れたりするのが朝から始まり悲しく辛い日々が続きました。そして睡眠不足、疲れ、ストレスから家族が崩壊寸前でした。特に洗濯物を干している時に悲観的になり、ふとここから飛び降りて娘と二人で死んでしまいたいと思うことも何度かありました。

 

それに加えて私は大好きな仕事なのに上司からのパワハラで悩んでいました。

そんな折、香里さんが私の手をぐっと握って下さり「もし本気で家族を、真凜ちゃんを変えたいなら一緒に御看経あげませんか?絶対変わります!絶対真凜ちゃん良くなります!」と言って下さいました。私は元々、日本でも海外でも宗教が苦手だったので悩みましたが、御信心で真凜が良くなって欲しい、家族を絶対に幸せにしたいと言う強い思いで本門佛立宗に入信しました。

入信直後には清流寺から平松信応師が日本から来豪され、QLD組で御助行、翌日には我が家に来て下さり一緒に御看経をしました。あの時の感動は今も忘れられません。

 

娘は日本で言う発達障害があり今はスピーチセラピスト、学校生活で必要なことを学ぶトレーニング、心理カウンセラーなど毎週水曜日の朝は登校前に忙しくしています。ただ本人も好きで通い、先生たちのお陰で成果も現れ、この1月から小学校へ入学することができました。土曜日は学校に行きたいと泣くほど毎日楽しく通っています。日本語も英語も上達してきており、御宝前に日本語で話しかけながらのお給仕が大好きです。またコロナ後はオンライン参詣を一緒にしたり、長時間の御看経も一緒にできる様になりました。

 

本門佛立宗に入信してからも私の気持ちは限界になって、子どもたちが朝ごはんを食べている時に、娘が暴れて私も限界に達してしまい寝室に籠もりました。ふとこのまま死んでしまおうと本当に一人で行動に移しかけていたその時に、ガチャッとドアを開けて7歳の息子が寝室に入って来ました。「ママ、どうしたん?」と。私はあまりにもドキッとして我に返り「何もないよ」と伝えました。突然です、凜音が「ママ、ぼくが死んだらなく?」とポツリと言いました。私達はそれまで「死」について話し合ったことがなかったので、呆然として「そら泣くよ!」と言って私は凜音を抱きしめ号泣しました。ご法様が私の命を凜音を通して救ってくれたと思っています。

 

その時に絶対に家族を残して1人で死んだらいけないと誓いました。そしてその日からオンライン参詣の御法門が命の大切さを毎日訴えかける様な内容で、私は毎日号泣して拝聴しました。それから心を入れ替えて御懺悔と御看経を続けました。今では本門佛立宗オタクでバスの中でも休憩中も御法門を拝聴するのが本当に楽しく、勉強になることばかりです。

 

家族崩壊寸前で離婚へ向け別居するかも、もうしても良いかもと諦め半分でいた私でした。今年の5月で結婚11年目の私達は数年ぶりに夫と二人で食事へ行きました。着席したとたん夫から「本当は別居のために車も家も探していたけれど、やっぱり子どもたちとゆかりの元から離れたくない、ただただ、家族で幸せになりたい」と言ってくれました。全く私と同じ気持ちで私達はレストランで泣き笑いをして両手を握り、まだまだ真凜のサポートがいるけれどこれから力を合わせて頑張ろうねと再スタートの約束を誓いました。

 

今の私は御信心をしていたら大丈夫だと言う強い思いと自信が涌き、家族を絶対に幸せにする、なると決めました。そして絶対できると思えるのも本門佛立宗に出会えたお陰、家に御宝前があるお陰です。

 

先日の第7回青少年の一座「あなたのご信心をグレードアップ〜そうだ御看経しよう!」を拝聴して世界中の体験談に感動して涙しました。世界に信者さんがいて、日本人の私は何と恵まれているんだと、私にもできるし困っている人を幸せにしたいと強く思いました。これからも家族で御看経を朝夕毎日続けていきます。凜音と真凜が御宝前に手を合わせてくれることにも感謝し、いつか夫も御宝前に座り家族全員で御看経ができるのが今の目標です。

 

入信してからベイン山村光子さんを始めQLD組の信友の皆さんと月に1度、香里さんのお宅で御助行しています。それも私の心の支えです。そのQLD組は清流寺やオンライン参詣で支えて頂いています。お寺がなくても、このテクノロジー社会でいつでも御看経ができ、御導師にお会いしてお話できるこの時代にも感謝しております。心からありがとうございます。これからもご指導ご鞭撻、宜しくお願い致します。

 

2021年もコロナ渦が続き日本は大変辛抱が必要な時だと思います。日本が早く平穏を取り戻せる様に日々、御祈願をしております。

ありがとうございます。