ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-02-05 09:37

2月5日の「毎日ぶっきょう」

「浜までは 海女(あま)も蓑(みの)着る 時雨(しぐれ)かな」

これは滝瓢水(たき・ひょうすい)という人(江戸時代)の俳句です。海女(あま)とは、海に潜って貝類や海藻を採る仕事をなさっている方のこと。海に入るということは全身ずぶ濡れになる訳ですが、そんな海女さんたちが雨に濡れないように雨具を身につけて海に向かう様子を表現しています。

 

その様子を見て「どうせ濡れるのに、なぜ?」と思う人もあるかもしれません。でも、海女さんにしたら「これから海に入るからこそ雨具を着る」という発想。なぜなら海に入れば体が冷えるからで、だからこそ体が冷えないように気をつける。結果的に「濡れる」という事実にたどり着く訳ですが、ちゃんと準備をして濡れるのと、何も考えず準備もしないで濡れるのとでは、同じ「濡れる」でも全く違う結果になります。

 

冒頭に紹介した俳句は、単に海女さんのことを表現したいだけではありません。実は、私達の「死」に対する姿勢であったり、それを踏まえた生き方を表現しています。つまり、どのように生きたとしても最終的に「死ぬ」という事実にたどり着くのが人生です。ただ「どうせ死ぬんだから」という頭で生きて、人生の最後を迎えるのと、「死ぬからこそ」という頭で生きて、人生の最後を迎えるのとでは、全く違う結果になります。

 

一体、何のために生まれ、何のために生きて、人生の最後を迎えようとするのか。私達は「死」そのものをコントロールすることはできませんが、どうやって生きていくのかという「生」については、いくらでも学ぶことができ、いくらでもコントロールができます。あとは、私達自身がそういう意識を持って生きるかどうか、というところにかかっています。誰もが必ず「死ぬ」からこそ、少しでもより良く生きようとする、これこそ仏教の真髄です!

 

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