ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-11 09:55

9月11日の隆宣寺日記

昨日の夕方、息子を連れて公園に行くと、大好きな友達がいて大興奮!楽しい時間はあっという間で、気がつくと辺りは薄暗くなっていました。日暮れが早まってきたこともあり、息子としては遊び足りなかったようです。さぁ、そろそろ帰る準備をしていかないとなぁ…と思っていたところ、大好きなブルドーザー、ショベルカーのオモチャを砂場で発見します。こうなるとイヤな予感しかしません(笑)
 
案の定、息子は自分の物のように遊び始めました。一方で、周りのみんなはボチボチと帰る準備を始めていきます。そんな事情などお構いなしに息子は絶好調で遊び続けていますが、最終的に、オモチャを返して、家に帰らないといけません。もちろん、息子は「いや!違う!全部違うよ〜!」と言って聞きません。いくら親とは言え、息子の心を変えることはできないのです。
 
もし、相手が大人であればなおのこと。そもそも自分だって「何でも相手の言う通りにするか?」と言えば、決して、そんなことは無い訳です。やはり自分なりの思いや考え、信念や心情があって、それを大切にするもので、むしろ、そうであってこそ「一人の人間」である証拠だと言うことすらできます。でも、自分が「相手を変えたい」と思った時には、そのことをスッカリ忘れてしまうのです。
 
そうなると、どこか強制的な態度や言葉、行動に出てしまう可能性が高くなります。それこそ親や上司、先生というような、人の上に立つ人は、その立場を利用して、または無意識に利用してしまって、相手に対して強引に出てしまったり、反対に相手を疎外、排除する姿勢に出てしまったりと「相手を変える」という点において全く逆効果のことをしてしまうことがあります。これでは、やればやるほど相手の心は変わらず、状況は悪化するばかりです。
 
重要なことは、相手が変わっていくような態度、姿勢をこちらが持つことであり、相手に共感や賛同してもらえるような行動、言葉を発していくことです。もちろん、相手の心が閉ざされていたり、拒んでいたりするならば、それすら届かない、伝わらないことになりますが、それが現在の「相手の意志」なのです。まずは、その《意志》や《心》を受け止めなければ、絶対そこから先には進めません。いわば、私達自身が相手のことを正しく知って、正しくスタートラインに立つことが大切なのです。
 
こういった状況において、伝える側、発信する側にできることは「待つ」ということ。ただ「待つ」というのは、放置することではありません。こちらからの発信、働きかけは継続しつつ、相手の動向を見守る、それを受け止めるということ。加えて、ご信心においては「祈る」ということができます。じっと待つだけではなくて、相手の心が少しずつでも変わっていくようなキッカケや環境の変化など、良いご縁が整うようにと積極的に「祈る」ことができます。
 
相手に対する思いが切実であればあるほど、居ても立っても居られません。その思いを相手に直接ぶつけてしまうので、失敗や間違いが起きてしまうのです。そうではなく、仏様を通じて間接的に届けるようにすれば、どうやっても動かなかった山が動いたり、風向きが変わって向かい風が追い風になったりして、思わぬ形で事態が改善されていったり、良い方向へ変わっていったりすることがあります。「どうしようもない」と一人で悩まずに、是非お寺で一緒に祈ってみませんか?
 
 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)
★夕看経御法門は【ここをクリック】(YouTube)