ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-07 09:45

12月7日の隆宣寺日記

何かを「こわい」と感じることは、生きていく上で大切なことです。自分の命や財産が危険にさらされた時に「こわい」と感じるからこそ、とっさに《守る》《逃げる》《抵抗する》といった姿勢に移れます。すぐそこまで危険が迫っているのに「こわい」と感じられなければ、何一つ警戒することもなく、身を守る準備もしないままで「いざ!」という時を迎えなけれならなくなってしまうのです。

 

しかし、この「こわい」という感情も、感じ方によっては悪影響も出てきます。たとえば、過剰に「こわい」と感じすぎてしまって、何も手につかなくなったり、あまりにも警戒し過ぎて日常生活に支障が出てしまったり、心が不安定になったり。それこそコロナ禍における「自粛警察」のような行き過ぎた言動も出てきます。「こわい」と感じる本能は大切ですが、感情に振り回されて理性が失われると、まさに本末転倒で、余計な損害や危険を生み出す可能性すら出てきてしまうのです。

 

もちろん、どのように「こわい」と感じるかは個人差があると思います。それは良い意味でも、悪い意味でも言えることで、大切なことは「他者への理解」です。自分自身の「私はこう思う」を基準にしてしまうと、絶対に分かり合えません。そうではなく、客観的な基準、合理的な基準をもとに、相互が理解し合うこと。ウィズコロナ・ポストコロナ・ニューノーマルなども、まだまだこれからです。それぞれの「こわい」を大切にしながら、新しい時代を作っていきましょう♪

 

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