ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-25 13:00

8月25日の隆宣寺日記

「明日は我が身」

これまで「自分には関係のないことだ」と勝手に決めつけていたこと。本当は自分にだって可能性があることなのに、どこか他人事にしていたこと。意識的に、または無意識的に避けて、逃げて、あえて見聞きしないようにしてきたこと。それが、もはや他人事ではなく「自分にも関係あるのか…」と観念した時に出てくる言葉。それが「明日は我が身」です。

 

もちろん、それは嬉しい、楽しい、大好きな事柄ではありません。自分にとっては悲しい、辛い、大嫌いな事柄であることが大半です。事件、事故、自然災害…、病気、ケガ、老化、そして死…テレビやインターネットで見聞きするニュースだけでも、そう思うのに、それが身近な人の身に起きると、心の底から身につまされます。「あぁ…、明日は我が身か…」と。

 

でも、その明日すら全く保証されていないのが現実です。「明日は我が身」と言っていた人が、その日のうちにアクシデントに見舞われる。これもまた可能性の1つであり、私達が覚悟しておくべき事柄の1つです。「一寸先は闇」ということは、たった一寸(約3センチ)先という未来すら、誰にも見えないし、わからない、どうしようもないのが現実です。今日が無ければ明日は無い訳で「明日は我が身」どころではありません。

 

そう思えばこそ、一番大切のなのは《今日》で、しかも《今》という瞬間です。その一瞬、一瞬を大切に、丁寧に、正確に、確実に、生きていくことが大切。その積み重ねが明日をつくり、遠い未来に想定している大きなゴールにたどり着く、たった1つの手段、方法であり、それが人生というレースの挑み方です。後悔の少ない人生にしたいのなら、それは《今》の自分がやるしかありません。後悔を無くせるのは《明日》の自分ではなくて《今》の自分だけなのです!

 

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