ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-29 10:49

9月29日の隆宣寺日記

「聞く体勢」というのは、とても大切なことです。たとえば、いきなりボールを投げられると、上手にキャッチできないことがあるのと同じように、「聞く体勢」になっていないのに、いきなり話されると上手に聞き取れないことがあります。仮に聞こえたとしても理解が不十分であってり、どこか納得がいかなかったり、覚えられなかったり。そう思うと、聞き手に「聞く体勢」になってもらうこと、それを事前に促すことは、話し手にとって、実に重要なことであると言えます。
 
話し手が、どんなに素晴らしい話を準備して、実際に話をすることができたとしても、それが聞き手に伝わらない、届かないようでは、話し手の自己満足で終わってしまいます。話し手が用意周到に準備することは、その話す内容、話す技術だけではなくて、聞き手を「聞く体勢」へと誘導していく、促していくことも含まれています。ここまで準備ができてこそ「話が伝わる」という本来の目的が達成され得る状態となるのです。
 
そこで「聞く体勢」を促進する手段・方法についてですが、一般的な話は講師などをなさっている専門家の先生に譲ることにしまして、仏様の教えを聞く場合について、少し考えてみたいと思います。まずもって、私達の心にある煩悩(ぼんのう)、欲の心と、仏様の悟り、教えとは、価値観や判断基準などが正反対であると言っても過言ではありません。
 
そのことを昔から「金言耳に逆らう」という諺で表現してきました。つまり、仏様が言ってることは頭ではわかるけれど、どうも納得いかない、承知できない。「理屈で言えばそうなんだろうけど、どうも好きになれないねぇ〜」「わかっちゃいるけど、その通りにで出来ない、したくないなぁ〜」という感じです。
 
なので、よほど「聞く体勢」を整えておかなければ、聞こえてはいるけれど、頭では理解できているけれど、心が受け付けない、心にササらない、残らない、覚えられない、今後の糧にしてみようと思えない…という、話し手にとって実に残念な結果になってしまいます。そう思えば、話のから全てが始まっていると言ってもいいのです。
 
うちのお寺では、いきなり話から始まるということはありません。必ず、まずは法要を営み、みんなで「南無妙法蓮華経」と唱えます。法要の目的は、ご先祖の供養や願い事を祈る、世界平和や他者の幸福を願うなど様々ですが、いずれにしても「南無妙法蓮華経」と声に出して唱えることによって、乱れていた心は整い、バラバラの心は1つになり、少しずつ「聞く体勢」になっていくのです。
 
それは話し手である僧侶も同様で、特別な場合を除いて、いきなり話から始めることはありません。やはり皆さんと共に「南無妙法蓮華経」と何度も唱えて「話す体勢」をつくっていきます。なんだかんだ言っても、話し手も聞き手も欲の深い、煩悩の多い人間ですから、こういった意識をしっかりと持つことが、より大きな効果を生み出す鍵を握っています。お寺で話を聞く時も、ネットで話を聞く時も、ぜひ「聞く体勢」を整えてから聞いてくださいね♪
 
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