ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-16 10:37

8月16日の隆宣寺日記

「生者必滅(しょうじゃひつめつ)、会者定離(えしゃじょうり)は世の習い。」

これは『平家物語』の一節ですが、恐らく『平家物語』と聞いて真っ先に思い出すのは「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」という部分ではないでしょうか。私も中学生の頃に暗唱したのを覚えていますが、当時は意味を全く理解できてなかったと思います。恐らく、覚えるので精一杯だったように記憶しています(笑)

 

「生者必滅(しょうじゃひつめつ)」とは、生ある者は必ず滅するとあるように、この世に生まれた者は、必ず死を迎えるということを意味しています。「会者定離(えしゃじょうり)」とは、会った者は離れるのが定めとあるように、出会いがあれば、必ず別れがあるということを意味しています。

 

これは、この世の大原則であり、この世で生きる者の定め、例外は一切無い。そのことを言い表したのが「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という言葉で、仏教の根本的な教えの1つです。「常が無い」ということは「常に変化してる」ということ。もっとわかりやすく言えば、この世に「永遠」と呼べるものは何一つ無いということです。

 

しかしながら、永遠を願ってしまうのが私達人間で、その代表の1つが「命」です。要は「死にたくない」「今がずっと続けばいいのに」という叶うはずのない願いを持ってしまって、若さを保ちたい、健康を保ちたい、愛する人との関係を保ちたい、今の生活を保ちたい、この命を…そう思えば思うほど、現実と私達の心とが離れ離れ、バラバラになっていきます。「これが苦しみが生まれるメカニズムなんだ」と仏様は悟り、私達に教えてくださっているのです。

 

ただ「常に変化している」という《変化》は何もネガティブなものばかりではありません。「どう考えてもダメだと思っていたものが、うまく行った!」というようなポジティブな変化もあります。でも、そこに気づけている人も、やはり多くありません。「もうダメだ」「無理に決まってる」という、もはや変化しない、するはずがないという決めつけ。これもまた《無常》を知らずにいる結果であり、苦しみを生み出すメカニズムです。

 

つまり…「死にたくない」という無茶な願望は、ネガティブな変化から目を逸らした結果であり、「もうダメだ」という勝手な諦めは、ポジティブな変化から目を逸らした結果です。いずれも、この世の真理、この世の習い、定めを知らずにいることが根本的原因であり、いわば、この世で生きているのに、あまりにも「この世のこと」を知らずにいるということです。そりゃあ、生きにくい、生きるのが辛いはずです。

 

仏様は、そのことに気がついたんです。自分が悩んだり、苦しんだりしているのは、この世のあり方が悪いんじゃなくて、この世のことを何も知らないでいる自分自身にこそ問題があるんだと。じゃあ、もっともっと「この世のこと」について知らなきゃけない!そのためには、もっともっと正しく見たり、聞いたり、話したり、行動したり…

 

そうやって自分が、この世の習い、定めに沿って生きていけるようになればいいんだ!そしたら、もっともっと自分らしく、もっともっと生きやすくなるに違いない!もし、世界中のみんながそんな風に考え、生きられるようになったら、どんなに素晴らしいことだろう、どんなに素敵な世の中になっていくだろう。これが仏教の始まりであり、仏教の目的です。

 

それを今、学んで実践するのがご信心であり、その練習場がお寺です。もちろん、頭でどんなに理解したとしても、体が覚えなければ物になりません。なので【昨日の隆宣寺日記】でも書いた通り、教えを学ぶだけではなく、行動、実践、修行が必要。それを日常に溶け込ませていくことが、仏教を体得する最大の秘訣です。無常の世を上手に生きていくために、是非、仏教の有る人生を送りましょう!

 

*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です

 ☆朝参詣御法門は【ここをクリック】(YouTube)