ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-10-19 10:09

10月19日の隆宣寺日記

「何のために生きて死ぬか」これが人生の根底にある《問い》です。いわば、人生の目的、生きる目的をハッキリさせることが大切で、人生そのもの、生きること自体へのモチベーション、動機付けとなります。山あり谷ありの人生で、ブレずに、ヘコたれずに生き抜くためには、どうしても、この「何のために生きて死ぬか」という《問い》が重要なのです。
 
仕事をするのも、勉強をするのも、家事をするのも、何をするにしても、それは「何のためか」というと、その答えは最終的に「生きるため」にたどり着きます。「仕事のために生きる」「勉強のために生きる」「家事のために生きる」ではありません。すべては「生きるため」の仕事、勉強、家事、日常生活なのです。いわば、人生の選択をする上でも「何のために生きて死ぬか」という《問い》は重要です。
 
もちろん、人生の目的、生きる目的を明確にしないまま生きていくことはできます。その日、その時を精一杯生きて、目の前のことに没頭するのも1つの生き方です。しかし、人生が下降線をたどり始めた時、自分の思う通りにならなくなった時に、生きることに迷ったり、生きること自体に意味が見出せなく危険性があります。「どうせ死ぬのに、どうして生きるのか?」なんて追求にもなりかねません。
 
大切な家族のために生きる、仕事をやり遂げるために生きる、夢を叶えるために生きるなど。きっと、そういうモチベーションを持って、生き抜こうとしている人は多いと思います。しかし、それらは人生の中・長期の目的、目標になり得たとしても、人生の最初から最後までを貫くような、根本的な目的、目標にはなり得ません。どんな状況でも決して絶望しないで、最後まで生きていける最大の目的、目標。
 
この世に人として生まれた意味、人として生きて死んでいく目的。本当になすべき事は一体何か、どうすれば人生を全うできるのか。結局、何もわからないまま時が過ぎて、人生が終わることも珍しくありません。仕事、勉強、家事などなど、生きていく上での【手段・方法】も大切ですが【手段・方法】を《目的》にすり替えてしまうと必ず生きることに迷いが生じます。
 
「何のために生きて死ぬか」という《問い》の答えは仏教の中にあります。今すぐ答えは出ないかもしれませんが、自然と少しずつ、そして確実に、その答えに近づいていける、その答えに気づけるようになってくる生き方。「何のために生きて死ぬか」がわかれば、人生そのものが首尾一貫、矛盾がなくなります。そうすれば迷いや憂いは無くなり、どんな時でも胸を張って、安心して生きていけるのです♪
 
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