ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-05-21 10:49

5月21日の「毎日ぶっきょう」

「まだまだチャンスはある」と思うから「まぁ、そのうちに」という考えにもなるでしょうし、「ちょっとぐらいズルしたって…」というような、魔が差す瞬間だって生まれてしまうもの。もし、差し迫った状況で「これが最後のチャンス」「やり直しがきかない」ということであれば、なまけ心に流されることも、良からぬ考えを起こすこともなく、きちんと物事に取り組めるはずです。心に隙(すき)が生じてしまうのは、生に対する緊迫感の無さ、死に対する認識の甘さが原因と言えます。

 

医師の日野原重明氏は数え切れない功績を残されましたが、子供たちへの授業も積極的になさっていました。

「『自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん』と言ったら全員が挙げるんです。『では、命はどこにあるの』って質問すると心臓に手を当てて『ここにあります』と答える子がいます。僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けるんです。『心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。」

 

さらに、日野原氏は「命(時間)の使い方」について、このようにも仰っています。

「命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかりと考えながら生きていって欲しい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んで欲しい。」

 

日常会話の中で「命懸けでやります!」なんて言うと、「なんて大袈裟な」という思いになるかもしれません。しかし、私達は何をするにしても自分の時間を使う訳で、それは命の一部を使っていることに他ならないのです。つまり、何をするにしても「命懸け」なのであり、それに相応しい生き方をしなければ勿体ないことになります。時間は常に流れていて常に命は消費され続けている、これが紛れもない現実であり、そこに気づかないといけない。そうすれば「まぁ、そのうちに」「ちょっとぐらいズルしたって」なんてことには絶対ならないはずなのです。

 

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