ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-26 09:51

9月26日の隆宣寺日記

3歳の息子が幼稚園に行くようになって随分と成長しました。だいぶ言葉も話せるようになり、親が言っていることも理解しています。ただ、ダメだとわかっていても、それを我慢することはできないようです(笑)どうやら私の作業机が気になるようで、特にパソコンを触りたがります。私は何度も「これはアカンで!」と言い、本人も「うん!これダメ!」と返事するのですが、案の定、パソコンのキーボードやマウスを触り、机の上には車が大渋滞を起こしています(笑)
 
実は、そんな状況になっている報告を、息子本人からよく受けます。外出先から戻ると「おとうしゃ〜ん!これ、やった!」とイタズラの報告です(笑)そこで「アカンやんか!」と言うと、息子は「うん!ダメ!」と元気よく返事します。恐らく、まだ嘘をつくほどの知恵、知識がないんだろうな〜と思いながら、いつしかバレバレの嘘をつくようになることを思えば、微笑ましいことだと感じています。知恵がつくから、嘘がつけるようになる…、正しい知恵の使い方を教えていかないといけませんね。
 
それに比べれば、大人は実に巧妙な嘘をつき、言い訳や誤魔化しも、とても上手です。「嘘も方便」といって、上手に利用することによって、嘘にも価値も出てきますが、大抵は、自分を守るために利用されるのが「嘘」というものです。そんな嘘のテクニックは上手にならない方が良いに決まっています。嘘に嘘を重ねていると、嘘の経験値がたまり、技術も磨かれていき次第に罪悪感も薄れます。こういった負の連鎖によって、犯罪への抵抗感も薄らいでいくものなのです。
 
折角の知恵や技術も、使い方を間違えると人を傷つけ、社会に大きな損失を与えます。そう思えば、正しく使える《心》を養うことが実に大切なことだと言えます。世間を恐怖に陥れたオウム真理教の凶行も、高度な知恵・技術を持った人達によるものでした。全く同じ知恵・技術であったとしても、使い方、使う人によって悪事にも善事にもなり得る。全ては私達の《心》にかかっていると言っても過言ではありません。その《心》について、どこまで興味関心を持ち、毎日コツコツと養い、育んでいるでしょうか?
 
少し勉強が運動ができなくても、後からいくらでも取り返しがききます。しかし《心》の不具合、不健康、歪みは、一つ間違えると取り返しがききません。むしろ《心》を養い、育むことによって、自然と身の丈に合った知識・技術は身につくもの。そして何より、健康な心は健康な体を育み、健全な人生を築いていきます。限られた時間・体力・お金を、どう使うかが人生を大きく左右する時代です。ぜひ、お寺で心の学びを得て、より良い心を培っていきましょう♪
 
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