ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-01-19 10:22

1月19日の「毎日ぶっきょう」

「いつ、どこで、何が原因で死を迎えるのか」自分自身の死でありながら、私達は何一つ決められないし、事前にわからない。この《選択の不自由》であったり《事前にわからない》であったりが大きな不安を生みます。「死んだ後どうなるか?」ということまで考え始めると、そこに「もう二度と戻れない」という不可逆性が加わってしまい、更なる不安と恐怖が生まれるため、人は死を拒絶する傾向にあります。

 

しかし、死に関して、たった1つだけ自分で決めて、実行に移せることがあります。それは「どのような姿勢で死と向き合って生きるか?」ということです。そもそも「死」というものは、その時を迎えた時点で全てが終わってしまいます。よって「死」とは、その時になってから取り組む問題ではなく、生きている間に取り組む問題であり、もっと突き詰めて言えば、私達自身の「生き方そのものの問題」であると言えるのです。

 

昨日「仏教は死を積極的に取り扱う」という話をしましたが、それは単なる知識や哲学ではありません。死を目前に控えた時に、急に取り出すような応急処置でも、その場しのぎの付け焼き刃でもありません。今、こうして生きている間から、人生のゴールである「死」を見据えて準備・練習をしていくメソッド。つまり、どのように生きて、どのように死んでいくのかという、具体的な手段・方法を教え、実践するもの。そして、それは「死」の問題を解決するだけではなく、私達の「生きる」という問題も解決していけるのです。

 

「死」に対してネガティブなイメージを持つだけでは、人生のゴールまでもがネガティブになります。そうなると、ゴールに近づけば近づくほど暗く、憂鬱なイメージとなり「有終の美」とは正反対です。いつか必ず「死」と向き合わなければならない時がやってくるのは、誰もが知っているはずのこと。見て見ぬ振りをしながら自分を騙し騙し生きていくか、それとも今から正しい姿勢で向き合っていくか。人生の最期で有終の美を飾ることができるように、ぜひ仏教と共に生きて欲しいと思います。

 

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