ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-06-20 09:52

6月20日の隆宣寺日記

鏡の前に立てば、今の自分がそのまま映し出されます。嘘偽りの無い、ありのままの自分です。たとえば、自分の顔は自分で見れませんので、一日に何度となく鏡を見て、今の自分をチェックする訳です。そして、必要に応じて整えるべきところを整える。つまり、今の自分を正確に知るために鏡は必須ということです。
 
その点、私達は自分の心そのものを直接、見ることはできません。しかし、私達の心は意識的、無意識的に言葉や行動となって表れます。つまり、私達の心を映し出す鏡は、私達の言葉や行動だと言えます。どんなに自分では「私は、こういう人間だ」と思っていたとしても、実際に言葉や行動となった事実が、その人そのものです。まさに嘘偽りの無い、現在の自分、ありのままの自分。
 
もしかしたら「そんなつもりは無い」「そんなはずじゃなかった」という思いが湧いてくる方もあるでしょうし、釈明をしたくなる方もあるでしょう。でも、ここは目の前に映し出されている自分を真摯に受け止めることが大切。なぜなら、今こそ自分を改める時だからです。つまり、その言葉・行動が仮に自分にとっては不本意であったとしても、それは「自分が、そんな言葉や行動を取っていまう人間だった」ということに今まで気づけていなかったということに過ぎないからです。いわば、自分が《本当の自分》を知らずにいた、自分を買いかぶっていたということ。
 
たとえば、鏡を見て、思いがけず寝癖がついていたとしたら、どうしますか?どんなに「まさか!」「そんなはずない!」と思ったとしても、その場で寝癖を直すはずです。そして「これからは気をつけよう」「もっと入念にセットをしよう」「そのために時間にはゆとりを持とう」といった今後の改良点が自然と出てきます。もし、これを「そんなはずはない!」「こんな鏡はおかしい!」と言って、目の前に映し出されている寝癖を認めようとしなかったら当然、寝癖はそのまま。そして、同じような失敗を今後も繰り返すことになるでしょう。
 
鏡は残酷なまでに事実を鮮明に映し出します。でも、だからこそ信頼できるものであり、基準となり得るものです。それは私達の人生においても一緒。自分の言葉や行動から今の自分を知る、等身大の自分を知ることは大切ですし、もっと大切なのは第三者からの指摘や忠告です。自分では気づけないこと、自分では認めようとしないことを、わざわざ言ってくれる訳ですから、本当に有難いことです。それを素直に聞き入れて自分を反省・改良できる方は必ず伸びていきます。
 
そう思えば、指摘や忠告をしてくれる人は本当に親切で、慈悲深い人だと言えます。私達も、そういう親切で、慈悲深い人間になれるように…つまり、実際に指摘や忠告のできる人間になれるように、ご信心で心を磨きたいものです♪
 
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