ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-02-17 10:03

2月17日の「毎日ぶっきょう」

仏様を「仏様」として敬(うやま)う、そこにこそ信仰というものが成り立ちます。仏様を「ただの文字・紙切れ」だと思ったり「物でしかない」と思ったりすると、その時点で、仏様は「ただの文字・紙切れ」という物に成り下がってしまいます。つまり、仏様を生かすのも、殺すのも、私達の思い一つだということです。

 

ただ、はじめから「これはまさに仏様だ!」と信じ切れないのは、誰にでもあります。なので、大切なことは、仏様だと「思える」「思えない」という話ではなくて、仏様だと「思う」「思わない」という《私達の選択》にかかっているという話なのです。つまり、仏様だと思えなくても「思う」という選択をして、仏様として敬うようにする。

 

ただ、その「思う」というのは、単なる心の中にある「思い」だけをいうのではなくて、「思う」からこそ、その「思い」を《行動》にまで発展させていくことが重要です。たとえば、手を合わせる、水をお供えする、線香をあげる、御題目をお唱えするなど。そうやって「思う」ことによって《信仰心》というのは少しずつ育まれていくのです。

 

☆朝参詣の御法門(7時)は【ここをクリック】(YouTube)
☆朝参詣の御法門(8時)は【ここをクリック】(YouTube)