ほんもんぶつりゅうしゅう
2018年12月31日
うつ病になり家族まで失ったが・・・ 全てを御宝前にお任せすれば道が開ける 第2支庁本行寺 佐藤隆志
ありがとうございます。
 私は第2支庁・南大阪布教区・本行寺所属の佐藤隆志と申します。本門佛立宗のご信心は、曾祖父の時代から私で4代目になります。私が物心ついた時には、すでに母の背中に背負われて本成寺松原別院(今の本行寺)に参詣させていただいていました。
父は局長、母は婦人会長、兄はお教務としてご奉公。そして、私は本行寺第五世・近藤日薩上人のお勧めもあり、親寺・本成寺でボーイスカウト活動をさせていただき、今は本行寺に戻りご信心をさせていただいています。
 この度、ご弘通ご奉公の一端になればと思い僭越ですが私の体験をお話させていただきたいと思います。
 私が25歳の時、勤めていた松下電器株式会社を辞め、父と数名の従業員とともに小規模ですが「美園パッケージ」と言う包装資材の製造販売会社を立ち上げました。父が代表で私は営業担当。事務や経理のことは当時の嫁にお願いしていました。お蔭様で会社経営は順調で新規得意先も増えていっていました。
そんな折、仕事の大先輩でもあり、起業の同志でもあった父を病気で亡くしました。平成6年11月30日、私が43歳の時でした。父は末期の肝臓ガンで気付いたときはもう手の施し様がなく、痛み止めで痛みを抑えてあげることしかできませんでした。
 病院で「家に帰りたい」と言っていた父の言葉を今でも忘れることができません。父の葬儀・告別式の後、親戚や会社関係の後始末で慌しく時が過ぎていきました。気が付くと、私の心の中は空っぽで、寂しく虚しい思いがして、何も考えることができませんでした。
会社のこと、従業員のこと、母や家族のこと、一度に私の両肩に掛かってきました。「これからどうしよう?」「従業員に給料を払っていけるやろか?」「廃業しようか?」― 色々と考えている内に、歯茎はガクガク、手はブルブルと止まらなくなりました。
近くの病院で診察を受け、精神安定剤を処方していただき、近畿大学付属病院を紹介していただきました。近畿大学付属病院の診断は鬱(うつ)病で「気長に治療していきましょう」と言われました。病院の待合室には私よりももっと重篤な方がおられ、その姿を見ているとショックの余り、思わず「自分は違う。自分は正常や、みんなと一緒にするな」なんて考えていました。
また、そんな患者さんたちを見ることが嫌で通院することさえ億劫でした。でも、病院でいただく薬を飲んでいると車の運転や仕事も少しできるようになるので、仕方なく、会社・自宅・病院の繰り返しが16年間も続きました。母も自宅階段からの転落事故で亡くしてしまいました。
 一度に色々な事があり、耐えられなくなった嫁は突然、離婚をして欲しいと言い出し、子供や親族も含めて話し合いましたが、離婚の申し出を受け入れざるを得ませんでした。父や母を亡くし、その上、妻・子供・孫まで失ってしまいました。
色々なことがあり、苦しさに耐えられなかった私は、踏み切りの遮断機を潜って線路上で走ってくる電車を待ったこともありました。
 鬱病の症状で他人と会うのが嫌になっていた私は誰もいない所をと思い、当てもなく辺りを車で走っていました。河内長野まで来たとき、佛丸と本現寺さんの看板が目に入りました。亡くなった父から本現寺さんの事を聞いていた私は、誘われるように本現寺さんの境内に車を止めていました。
そして気が付くと本堂に座っていました。すがる気持ちで御宝前にお看経をさせていただきました。涙が溢れ出て心の中に詰まっていた何かが取れたようで、心が軽くなり、涙が枯れるまでお看経をさせていただきました。その場で御宝前に1年間の開門皆参詣のお誓いを立てて帰宅しました。翌日から私の1年間開門皆参詣が始まりました。
 ある日、長年通っている近畿大学付属病院の担当医師が変わることになりました。新しい担当医師は「佐藤さん、鬱は心の風邪引きみたいなもので、そんなに心配しないでもっと気楽に考え、しんどくてやりたくないことはしなくてもいいからね」と言われました。
 当時、私は仕事以外にボーイスカウト大阪連盟なにわ地区の副コミッショナー、所属団のリーダー、そして春と秋には新任指導者が訓練を受ける研修所の所員奉仕もさせていただいていました。辞めれば楽になることは判っていましたが、自分が鬱病であることを知られることを恐れ、誰にも話すことができず、辞められずにいました。
 でも、新しい担当医師の言葉に勇気を得て、関係者に鬱病を患っていることを思い切って話して、全て辞めさせていただくことができました。全て辞退すると楽になった反面、人との関わりがなくなり、孤独感を感じるようになってしまいました。
「何か夢中になれるもので自由で楽なものはないか」と探していると、あるスポーツジムが見つかりました。今も通っているのですが、スポーツジムではいろんな人と自由に楽しくお付き合いができ、孤独感もなくなり気持ちがずいぶん楽になりました。
 本現寺さんの開門参詣、仕事、スポーツジムの3つが私の日課に変わりました。長い間、感じたことがなかった明るい前向きな気持ちを感じることができるようになってきました。
そんな時に、通っているスポーツジムで、今の家内とめぐり合うことができました。彼女には自分の心の中にあった全ての辛かったことを聞いてもらい、そして彼女は私の初めての教化子にもなりました。
気付くと長年の鬱病もすっかり治り、以前のように、ご信心もさせていただける自分を取り戻すことができ、御宝前とのお約束も無事果たすことができました。今は自坊のご弘通発展の為に微力ですがご奉公させていただいています。
 踏切事故から救っていただいたことや病院の担当医師が変わったこと、そして今の家内と出会えたことなどのお蔭で、15年間もの長期にわたる鬱病を克服することができました。全て御宝前のご利益と感謝しています。
 皆さんも全てを御宝前にお任せし、一身にご参詣、お看経をさせていただくと、きっと自分にとって、もっとも良い道を与えていただけます。どうか、凡夫考えを改め、まずは信じることから自身を改良し、日々のご参詣に励んでいただきたいと思います。
そしてお互いにご利益を感得し、心から「ありがとうございます」と言えるご信者にならせていただくことが大切だと思います。
本当にありがとうございました。