ほんもんぶつりゅうしゅう
2016年09月01日
平成27年度 教化10個を成就 —はじめの2個はダメになったが、その日のうちに思わぬ2個が成就—
第2支庁 大阪・安国寺 橋山政子さん
 
 
 ありがとうございます。私のような拙い信心で御講有上人より2年連続表彰していただき、身に余る光栄と随喜させていただいております。でも「こうしてお教化が出来ました」という人の自慢話ほど面白くないものはありません。そこで私は敢えて、今回、ここでお教化に至らなかった人の話をさせていただきたいと思います。
 
 私は病院の清掃の仕事をしていますが、入院患者さんの中に非常に個性の強い患者さんがいました。見たところ芸術家タイプですが、聞けば会社の社長さんとのことでした。言葉遣いがとても丁寧でお抱えの運転手さんにも敬語で話される上品な方です。私にも、「いつも汚くして申し訳ありません」と優しく声を掛けてくれるのです。
 
 ある日、その社長さんの部屋を掃除していると「便秘でとても苦しい。つらくて仕方がない。とにかく水が欲しい」と社長さんが運転手さんに泣きながら話されているのです。私は思わず、「お寺のお水がいいですよ」と声を掛けてしまいました。すると、「助けて下さい。藁をもすがる思いなんです。そのお水をいただけますか?」と社長さんが言うのです。そして、「お守りもありますか」と言うので「それ(お守り)はありません」と事情を説明しました。すると「それならあなたのご信心に入信しますから、そのお水をいただけますか」と言うのです。私は仕事中でしたが社長さんの運転手さんが運転する車に乗り、急いでお供水さんをいただきにお寺へ向かいました。お寺に着くと本堂で運転手さんに隣に座ってもらい一生懸命、御題目をお唱えさせていただいたのです。
 
 しばらくお看経をさせていただいた後、入信書を書いていただきました。運転手さんは入信書に社長さんの名前と印を押し「私も社長と一緒に入信します」と自分の名前も入信書に書いてくれたのです。しかし、私はその場で受け取らず、「これは一度、社長さんに見せて下さい。今もらう訳にはいきません」と運転手さんに返したのです。こうして明朝8時、お寺に入信書を持って来てもらう約束をし、運転手さんはお供水さんを持って社長さんのもとへ帰られました。
 
 翌日の朝5時、開門参詣でお寺にお参りしますと、ちょうど御導師がご法宅から境内に出てこられました。私は御導師の所に駆け出し「御導師、お教化2個できました」とご報告させていただきました。目標の10個まで8個できていたので残り2個。この2個が無事にできましたので嬉しくて嬉しくて、御導師にご報告させていただきたかったのです。「よかったね」と御導師も喜んでくださいました。私は今までいくらお教化ができても入信書も出してない段階で、しかも御導師に直接そんなお話はしないのですが、本当に嬉しかったのです。また、この日の朝参詣で御導師の奥さまにもお会いし、「橋山さん、2個できたんだってね。よかったね」と喜んでくださいました。
 
 朝8時になり門の所まで行くと、運転手さんが立っていました。「中へどうぞ」と言うと「いえ、実は社長にお断りするように言われました。社長が駄目なら私も従います。申し訳ありませんが入信の件はお断りします」というのです。私は「えっ」と驚くと同時に「そうですか、ご苦労様でした」と言うしか言葉が見つかりませんでした。御導師に「2個できました」とご報告した手前、「2個駄目になりました」とは言えません。と言って、今日中に2個のお教化をさせていただくのは、いくら何でも無理。あてなどありません。とにかく病院に向かいました。
 
 社長さんは個室に入っています。私が部屋にお伺いしても、一言も言葉を交わさず寝たふりをしています。私も黙って掃除をしていました。しばらくすると壁を見て「この世に水を飲んだだけで病気が治るというようなことがあるか。もしその水を飲んでお腹が痛くなったらどうするんだ。出る所へ出たら責任取ってくれるのか」と昨日までとは打って変って、まるで別人のような口調で怒鳴るのです。私は黙って聞いていましたが「ここで謝る必要もない。でも、この人を怒らせたら、即、今の仕事はクビになるかもしれない。だけど、言うことは言わないと」と思ったのです。私は心の中の御宝前さまに、「今からこの社長さんに一言、言いたいことがあります。でもどうか病院をクビにならないように守って下さい」とお願いしたのです。そして私は「あなたが社長さんか何か知りませんが、もう少し物の言い方を気をつけて下さい。昨日あなたが藁をもすがる思いだと私に泣きついたでしょう。あの時、運転手さんが私の所へ来て【今すぐにでも】と頭をを下げるんですよ。仕事中で無理だったんですが、社長さんを思うあの運転手さんの心にほだされて、私はお寺にお水(お供水)を取りに行ったんです。あなたの便秘を治すつもりでお寺に行ったのではありません。私はこのお寺のお水であんたのその心を洗い流してもらおう思ったのです。人の心はお金では買えませんよ」と、怒鳴り返されるのを覚悟して自分の気持ちを素直にお話しました。
 
 すると「いいこと言うな。さすが信心しているだけのことはある、多分、私とあなたとは仏様のご縁で出合えたのだろう。でもこんな紙切れ(入信書)がそんなに大事か?欲しかったら持っていけ」と言うのです。私は、本当はノドから手が出るほどこの入信書が欲しかったです。でも仮にそれをもらってお寺に提出しても「この人はきっと信心の有難さを理解できないだろう」と思ったのです。そこでハッキリと「いりません!」と言いました。しかし、この社長さんとは、何らかの「ご縁」が結べたものと思っています。
 
 そうこうしている内にお昼が過ぎました。「今日中にどうしても2個のお教化をしたい」「でも無理かな」とあせり始めました。夕方4時にお寺の夕看経にお参りさせていただきます。それまでに何とか成就したいと思っていると、知り合いの警備員さんが向こうからやって来ました。入院していたが退院したばかりとのことで「何をするにも怖くて仕方ない。不安で頭がおかしくなりそうだ」と私に助けを求めてきたのです。私はその警備員さんにお寺の話をこれまで何度もしてきました。でも全く興味がないようでした。しかし「この人にお供水さんをいただかせてあげたい」とフト思ったのです。そこで、先程の社長さんの部屋へ戻り「お水をいただいて欲しい人がいるので少し分けて下さい」と頼んだのです。警備員さんにお供水さんを渡すととても喜んでくれ、その場でお供水さんをいただいてくれたのです。そしてしばらくして私の所にやってきて、「お水ありがとう。これ橋山さんがいつも教えてくれるお寺のお水でしょう。僕も入る(入信する)よ」と私の持っていた入信書に名前を書き、印を押してくれたのです。
 
 「これであと一個だ」と思っていると夕方4時前です。その時、「政子ちゃん!」と私の名前を呼ぶ声がするのです。なんと今度は、病院に勤めている幼友達です。私はこの人にも以前からご信心をお勧めしていました。普段はなかなか顔を合わせる機会がないのに、この日は偶然にも私の姿を見かけ声を掛けてくれたのです。ご主人の体の具合が悪いと聞いていたので、思い切ってもう一度ご信心のお話をしてみました。私の勧めに彼女は「わかった」と素直に返事をしてくれ入信書を書いてくれたのです。有難いことにお寺の夕看経前に2個のお教化ができたのです。
 
 この日の夕看経の当番は副住職でした。副住職に「朝に御導師にお話した方とは違いますが、2個のお教化が無事にできました」とご報告させていただけました。このように9個目からのお教化はとても大変で焦ったものでした。もしあの時、御導師にお教化成就のご報告をしていなかったら、こんなに必死な気持ちもなく、その後の2個のお教化もきっとできていなかったでしょう。これも御導師のお徳をいただいて、できたお教化なんだと思っています。
 
 その後、警備員さんは「とても調子いい」と喜んでくれています。またあの社長さんも93歳とご高齢ですが、占いによると113歳まで生きられるとのこと。「そんなに生きたらご家族にご迷惑ですよ」と、冗談を交えて今は楽しくお話をさせてもらっています。いずれはこの社長さんをお教化させていただきたいと思っています。
 
 いろいろと拙いお話をしましたが、お教化は決して【結果】ばかりを求めてはいけない。その手がかりとなる【ご縁】を作ることが大事だと思います。その【ご縁】から思わぬお教化、お計らいがいただけるのだと、つくづく感得させていただいております。ありがとうございます。