ほんもんぶつりゅうしゅう
2015年09月01日
「平成26年度 教化12個成就の喜び」—御宝前からのご縁活かし誰にでも声を—
第2支庁 大阪・安國寺 橋山政子さん
 
〔御礼のお看経へ改良〕
 
 ありがとうございます。主人を亡くして4年が経ちました。主人の闘病中から今日に至るまで語り尽くせないほどの事々がありました。あえて一言で申し上げるならば、御宝前はもちろんのこと、御導師はじめ奥様、御講師方や大勢のご信者皆さまのおかげをいただいて今日の私があります。この期間に私の心の内も変化し、これからは自分のお願いは一切しません。「助けて下さい、助けて下さい」のお願いばかりでは御宝前も疲れるだろう。せめて自分は「有難うございます、有難うございます」と御礼のお看経をしようと心に決めました。お願いのお看経は心も重いし、声も沈む。でも御礼のお看経は心も軽いし、声も弾む。「お前が来たらホッとする」と御宝前が喜んで下さる信者になろうと素直に思えるようになりました。いつしかお看経が楽しくて仕方なくなりました。喜びの心が溢れ、人に黙ってはいられなくなり、知った人を見るとつい自分から声掛けをするようになりました。
 
 
〔御宝前が縁を下さる〕
 
教化誓願については、ここ何年も出しています。でも昨年は違いました。1つできた時、いつもなら「もうこれで終わり、もう無理」と思うところが、次々とご信心をお勧めしたいと思う人が現れるのです。そして何故かいくつできても、まだできると思うのです。「妙」まさにその一言につきました。40年信心はしていますが味わったことのない感動でした。
 
 私はただ「七道の駅の近くにある安国寺って良いお寺やで、いっぺんお参りして」それだけのワンパターンです。最近、そこにもう一つ本門佛立宗の言葉が増えました。その程度の人間が12個もお教化をさせていただけるのです。皆様もその気になれば誰でもご奉公させていただける。私のご奉公も決して自慢のできる難しい事ではありません。
 
 ただ一つ、私には誰もマネできないだろうという特技があります。それは、すれ違った人にわずか2〜3分のうちにお寺の話をする事です。朝仕事に行く途中、知った人にすれ違うと私は必ず戻ります。御宝前が縁をくれた、そう反応的に思うからです。体が自然に動きます。相手も急いでいるし、私も急いでいます。ましてや何十年も前の知り合いでは覚えているかどうかも分かりません。それに、顔を見ていきなりお寺の話では頭がおかしいと思われるのがオチです。下手をすれば無駄で終わるだけです。でも、私の場合不思議と相手の方が「今からどこ行くの」とか「今ちょっと身体の調子がおかしくて」など、お寺のことを話すキッカケをくれるのです。そして、5〜6分でお寺参詣までの話をもっていきます。常に筋書きは御宝前が書いてくれます。私は何も考えず、その筋書きに乗るだけです。12人の教化のうち、未だに信じられない御宝前の筋書きが2つあります。本日はその2つの話をさせていただきます。
 
 
〔教化談 その1〕
 
 私は病院の清掃の仕事をしています。その中で一番最後に入ってきた同僚が1年ほど経つのですが、真面目過ぎて仕事が遅いのです。私は彼女とコンビを組んで仕事をするのですが、そのためストレスが溜まって低かった血圧がドンドン上っていきました。そしてその事を直接本人に言いました。
「もうちょっと早よ降りて来られへんか、せめて半時間前には洗濯終わるようにして、私アンタが来てから楽になるどころか余計しんどいねん。血圧上がるねん」と。普通、怒るか気にするでしょう。でも彼女は笑っています。箸にも棒にもかからないとはこの人の事だなと私は以来相手にしなくなりました。
 
 ふと、でもこの人を辞めさせて下さいのお願いは御法のみ意にそぐわない、解決方法はこの子に御題目を唱えさせる事だと思い「一度家に遊びに来る?」と誘いました。何度もチラチラと彼女に私はお寺の話をしています。でもいつも全く興味がなさそうです。話も聞かないです。私の性格上、一度声を掛けて駄目やと思った人にはすぐ諦めます。しつこく言わないです。なのに、その日は4時から6時まで2時間延々とご信心の話を勧めました。もちろん彼女は聞いていません。気もそぞろで時計ばかり気にしていました。ちょうど6時になり、「もう帰らないと」と彼女が言うので、引き止めて悪かったなと玄関まで送ろうとすると「橋山さん、今、携帯の音がしましたよ。多分メールだと思います。見て下さい」と言うのです。「そう? 私は気づけへんかったわ、また後で見るわ」と彼女を送り出そうとすると「今見て下さい。メールは急ぎの時が多いから何かあったら大変です。私、待ってますから」としつこく言うので、探すと携帯が出てきました。
 
 メールは御講師からで、私が御法門で少し分からない事があったので伺っていた返事でした。一週間も前の事の返事だったので、私自身もう忘れていました。もちろん玄関にいる彼女にメールの内容など見えるはずはありません。なのに私がメールを見ると同時に彼女が「橋山さん私ね、よくお寺の坊さんの話とかあるでしょ。あんな話、嫌いなんですよ。面白くないんです」と玄関から言いました。私は「このメール、ちょうどうちのお寺の御講師なんやけど、この人の話はちょっと変わってるねん。この間も三浦雄一郎の話をしたんやけど、三浦雄一郎ってスキーやのに登山の話は何故か聞きたくて、私メールした。その返事やねん」と言いました。すると「三浦雄一郎ですかぁ。三浦雄一郎って私ら登山家の中では神様なんですよ」と、帰りたくて仕方ない様子だった彼女が、靴を脱いで上ってきました。そしていきなり「橋山さん、私ヒョッとしたら一番できの悪い信者になるかもしれないけど、それでも構いませんか」と言いました。
 
 私はビックリしました。普通なら「そんな話をする人なら私も話を聞きたい」と言うのなら分かります。なのに何故その話だけであれほど嫌がっていた信心をする気になったのか、未だに訳が分かりません。でも、もっと驚いたのはその後です。明くる日から彼女がコロッと変わった事です。今まで1年間、ずっとギリギリに終わっていた子が1時間以上早く降りて仕事を済ませられる子に変わったのです。今では一番私をサポートしてくれて、一番頼りになります。
 
 信心はお寺参詣も来ます。特に御講には必ずお参りする。今ではできの悪い信者どころか私にとっては頼りになる教化子さんになりました。もしあのメールがなかったら、そして1分でも後だったら、彼女はお寺とのご縁は一生なかったと思います。一本のメールが教化してくれたのです。もちろん私の血圧は正常に戻りました。「教化の功徳、己に帰す」、身を以て体験したご利益でした。
 
 
〔教化談 その2〕
 
 もう一人の教化子さんの話をさせていただきます。Uさんという1年間朝参詣皆参の教化子さんがいます。病院の患者さんだった人です。いつもの調子で彼に「退院したら安国寺というお寺一ぺん行ってみて」というと「お寺の話ですかぁ?」と嫌そうな返事が返ってきました。言うんじゃなかったと思って私は部屋を出て隣の部屋に行こうとすると彼が「別に退院しなくても僕行けますよ。仮外出するからその時一ぺん行ってみます」と言いに来ました。私は「4時ならいつもお寺に自分は居るから」と約束した日にお寺で待っていました。ホテルみたいですねとビックリした様子でした。本堂に座って少しだけ説明をして入信書を書いてもらいました。その日に入信を決めて次の日から毎日無休で朝参詣を彼は続けました。
 
 1年近く経った時、私に「橋山さん、今日、僕頭がものすごく痛いし手も痺れて、運転の仕事中そのまま病院へ走ろうかと思うほどしんどいんです」と助けを求めて来ました。彼は毎朝参詣している、なのにこんな目に合うのはきっと何かある。そう思って「何か謗法ないか?」と聞きました。「謗法って何ですか」と聞くので説明すると「家にキレイな阿弥陀さんみたいな置物やらお守りがあります」と言うので「そんなん持ってたらアカン。すぐお寺に持っておいで」と私が言うと「阿弥陀さんは10年ほど前から僕を守ってくれているので、言って悪いけどここのお寺はまだ1年経つか経たないかの付き合いです。ちょっと考えます。別れがつらいです」と言うのです。「アンタその一言で今までの受けたご利益、皆消える!罪障積むで、分かったもうどうなっても知らんから好きにし」と強く折伏しました。毎日お寺へお参りする。しかも入ってすぐにです。なかなかできる事じゃない。顔を見るたび「橋山さん今日こんなご利益いただきました」と喜んでいる人にそこまで言う必要があるか、もしこれで来なくなったらとも思いました。でも、それこそ御宝前を信じました。彼はきっと改良してくれると。
 
 家に帰るとすぐにメールが入りました。「橋山さん、家の中探し出して出てきたお守りやら長年の阿弥陀さんにお別れしました。今お寺まで持って来ています」と。すぐに取りに行きました。それから2日ほど受付に預けてますと言ってドンドン謗法を払いました。結局、医者に行かずにピタッと痛みが消えるという現証ご利益をいただきました。彼は私の教化親夫婦が育ててくれました。ずっと1年間、私に代わって導いてくれました。
 
 
〔皆様のお陰をいただき〕
 
 Uさんより先輩になるKさんも新しい教化子さんの面倒をよく見てくれています。彼女が私の今回12人教化成就の原点です。彼女の存在が私の教化への自信に繋がりました。UさんもKさんもまた新しい教化子さん達も皆、ここにおられる大勢のご信者さんが私に代わって育ててくれたのです。
 
 副御導師がよく話されます「因果の道理」、私は全くその通りだと思います。でも私の場合、そこに皆様のサポートというご縁がなければ教化できていなかったと思います。何より御講師方が色んな形で私を応援して下さいました。そして、このご信心が孫の「あいと」と「りな」に受け継がれる事を願って、私の体験談とさせていただきます。ありがとうございました。