ほんもんぶつりゅうしゅう
2023年06月03日
第5支庁 東日本大震災13回忌に参詣
3月12日、第7支庁石巻耀護寺と釜石慈念寺において「東日本大震災犠牲者第13回忌追善法要」が特命巡教として厳修されました。第5宗務支庁として団参させていただくため、同11日~13日にかけて支庁内の19ヵ寺から、56名の教講が2台のバスで各地へと向かわせていただきました。
 参加者は法要前日の11日、午前7時前に乗泉寺に集合。耀護寺へは28名、慈念寺には26名の構成で、7時半に各自出発しました。
 この日は移動に10時間を費やしましたが、地震発生の午後2時46分に、釜石へ向け北上する2号車は石巻市の直前、東松島市を走行中でした。「世間では黙祷ですが、当宗はやっぱり…」と、バス内の一同は声をそろえて「本門八品所顕 上行所伝 本因下種の南無妙法蓮華経」の発声にあわせ、御題目を三唱させていただきました。
その後、2号車は17時半、釜石のホテルに到着し、事前にすべての被災寺院をお助行されていた深澤堅洋師、高野清純次長と合流しました。
 一夜明けて法要当日は快晴のお計らいをいただき、ホテルのマイクロバスをお借りして釜石・慈念寺へ移動。その際に、この春には廃線となる予定の「SL銀河」と一時併走するというサプライズもありました。
 慈念寺の法要は本宗宗務総長・新井日現師がご奉修、ほかに第7支庁・盛岡広宣寺ご住職で宗務本庁奉讃局長の柴﨑日布師、第5支庁からは高野清純次長など6師がご出座されました。
 法要中の言上では、震災により被災された慈念寺のご信者9霊のご回向の他に、地域全体の犠牲者・行方不明者の数字も1つ1つ言上されました。釜石市のある岩手県での震災による死者・行方不明者は6255名、釜石市内で亡くなられた方は912名、不明者は152名とのことです。
また宮城県石巻市内で震災による津波や倒壊で亡くなられた方は、令和5年2月末現在で3277名、関連死が276名、不明者は417名です。これらの犠牲者・不明者の中には慈念寺・耀護寺のご信者さんも含まれています。あまりの被害に改めて圧倒されながら、一同で精一杯の御題目を口唱させていただきました。
 またご回向言上の後、ご遺族・ご家族に続いて寺内信徒、団参の参詣者全員もお焼香をさせていただきました。ご遺族の中には小学生のお子さんもいらっしゃいました。
 慈念寺のご住職・尾形信欣師からのご挨拶では、ご自身の被災当時の状況(京都本山から自坊への帰山途中の新幹線内で被災、それから慈念寺に戻られるまで3日間を要したことなど)を述懐された後、ご遺族のお子さんを見て「震災の後に生まれてきた、この子たちは被災当時の風景を知りませんが、被災箇所を見てもどこが被害に遭ったかわからないでしょう。それぐらい、外見的には復興ができています。
ですが、釜石で採れる山菜などが出荷制限されていたこと、それが解除されたのがいつだと思いますか? 今年の2月なんです(放射性物質の濃度から、2012年に制限、濃度が充分に低かったことから2023年2月17日付で野生ワラビやタケノコなどの出荷制限が解除される)。この釜石から福島第一原発までは、直線で300キロありますが、それでもそういう影響がある。そうしたことを、どうか忘れないでいただきたい」と声を絞られました。
 この日は石巻組とホテルで合流、支庁長を始め4布教区の布教区長ら、総勢56名と法要の無事終了を祝うささやかな宴席が設けられました。
 翌日の帰路には往路と同じバスにて、やはり10時間をかけて乗泉寺へ。その道すがら、常磐自動車道には福島第一原発跡地を中心に、9箇所に放射線量の測定器が設置されているのを見て、改めて放射線の被害が続いていることを実感しました。
 今回の13回忌法要では、それぞれの被災寺院での復興は着実に進んでいること、その一方で原発事故による被害などは解決にはほど遠く、今後も様々な形での応援はさせていただかなければ、と思いを強くするご奉公となりました。
東日本大震災13回忌に参詣して
第2支庁・大阪本成寺所属の谷下咲希さんから東日本大震災13回忌法要に参詣された感想を述べていただいた。
ありがとうございます。
去る3月12日に慈念寺で行われた、東日本大震災13回忌法要に本成寺からお教務様を含め4名が参詣させていただきました。
私達は仙台空港からレンタカーで寄り道をしながら釜石を目指しましたが、道中は復興が進み瓦礫の撤去、建物の建て替えが進み、交通の機能も完全に回復しているように見えました。
その時は単純に復興が進んでいると感じていましたが、陸前高田の方の話を聞くと津波に全てを流された町は土を盛ってかさ上げをしたり、海岸沿いに10メートルを超える防潮堤が建設され、町からは全く海が見えなくなり、日常の風景が震災前から大きく変わってしまったと聞き、町が綺麗になっても復興したと言っていいのか非常に複雑な気持ちになりました。「故郷の景色は無くなりました」と言う話が印象強く残っています。
また、尾形信欣御導師のご挨拶では、復興が進んでいると言うことだが町が綺麗になってしまって震災の痕跡を探す方が難しくなってきたとおっしゃっており、震災を感じられる場所が少なくなっているというお話もありました。
さらに福島原発について、釜石からは300キロ離れていますが、放射線量の問題で12年間、ワラビなどの釜石産山菜が出荷できていませんでしたが、今年の春からようやく出荷可能になるらしく、こんなに離れていても影響は大きくあり、未だ完全な復興からは程遠いと感じました。
お話の最後では、今後も被災地へ心を向けて欲しいとのお言葉もありました。
私達は実際に経験をしていなくとも、お弔いをさせていただき、一緒にお看経をあげることができます。同じ気持ちになって寄り添わせていただきたいと思います。
また、宮城県南三陸町のワークショップでは自分が住んでいる地域ではどのような災害が起こりやすいかを考え、町の特徴を理解しておく事が重要で防災に繋がると教えていただきました。震災や、震災を体験した人たちから学び、次の世代に伝えられるように皆で知識をつけていくことが必要です。忘れないよう関心を持ち続けていきたいと思います。