2025年08月01日
海外弘通だより~ブラジル編 講有巡教 随行ご奉公記①  日扇寺・大宣寺・蓮徳・常照教会へ
前回に引き続きブラジル講有巡教について記させていただきます。全日程がとても充実していて全ては書き切れませんが日ごとのご奉公をまとめてみました。
◾️5月16日
早朝にホテルを出て、講有上人ならびに団参者一同は無事に日教寺に到着。無事安着御礼と25日の開堂式の晴天無事奉修を願って一座のお看経が奉修され、あわせて結団式が行われました。
新しい本堂の床には、多くの日本人移民、殊に日水上人が従事されたコーヒー栽培への敬意を込めコーヒー豆の意匠が施され、また窓には第1回移民船「笠戸丸」の舷窓を模して丸くかたどられており、壮大で美しい新本堂に心を打たれました。
実はこの段階でまだ工事中で、しかも御本尊と御尊像は佛立聖地にご安置されており、23日の晩にご遷座されるとのこと。開堂式まで気の抜けないご奉公が進められておりました。
ブラジル教区ではこの1年、「常題目運動」と銘打って、それまでほとんどの人が知らなかった「一万遍口唱(一日5時間の御題目口唱)」と、「百本祈願(お線香百本分の御題目口唱)」を推進し、教講一丸となってたくさんの方が実践、さらに、開堂式100日前からは「祈願口唱会」も開催されていたとのこと。こうした異体同心のご奉公に心から随喜いたしました。
その後、一同は550キロ先のプルデンテ日扇寺にお助行に向かいます。バスで約8時間かかります。道中、バスのタイヤがパンクするというハプニングがありましたが安心です。なぜなら、今回利用したバスはモジ隆昌寺のご信者が経営する会社のもので、全ての車輌に車両御本尊が奉安されているからです。
ほぼ予定通り19時頃に日扇寺に到着すると、大勢のご信者方が大歓迎してくださいました。夜のプルデンテの街に日扇寺の明かりと轟く法鼓が印象的でした。
立派にご荘厳された本堂に大勢のご信者がお参詣され「お助行」というより、もはや「御会式」でした。この日を目標にお教化に励んでこられ、なんとお参詣直前にお教化、法灯相続が成就!大人・子ども6名が講有上人から御本尊とお数珠を拝受されました。小さなお子さんは親御さんがご信心されているのを見て「私はいつお父さんと一緒の仏教徒になるの?」と言ってワクワクしながらの法灯相続でした。
続いて、6月1日で99歳になるエイモリ・タカテルさんの紹介。日扇寺建立当時からの貴重なお話がビデオで放映され、講有上人より記念品が贈呈され皆でお祝いいたしました。
法要後の歓迎会は、ご供養も飾り付けも何から何まで全て手作りでご用意くださりまさに歓待を頂戴しました。
◾️5月17日
プルデンテから2時間半ぐらい離れたリンスのブラジルHBS(本門佛立宗)最初道場・大宣寺へ。2時間半が不思議と短く感じられます。
大宣寺の近郊の町グアイサラは日本人移民が多く入植したところで、そこから佛立の信心が弘まっていきました。今でも人口約2万人の半分が日系の方だそうです。近くのプロミサウンも同じで当時、移民の人たちは小さなコロニーを作り、コットンやコーヒー、サトウキビの栽培などを始めたそうです。
大宣寺は最初道場、根本道場と冠する通り、茨木日水上人が最初に建立されたお寺です。
第1回移民船の笠戸丸が神戸を出港したのが1908年(明治41年)で、そこに乗船していた1人が当時22歳の日水上人。 その後、移民の1人としてグアイサラにあった入植者のコロニーに入られます。そして1936年(昭和11年)、やっとの思いで建立されたのが大宣寺です。その間、約30年… 並々ならぬ信心と思いによって建立されたお寺です。
1941年頃に現在の地に移転されますが、今のような大きな本堂ではなく、本堂隣にあるミュージアムになっている建物が建立当初の大宣寺です。建築様式などから当時の面影になんとなく触れることができました。
講有猊下ご唱導による一座のお助行。パワフルな御題目口唱と猊下からの激励のお言葉から『どれだけの思いでご弘通に臨んでいるのか?』とお折伏を頂戴した気持ちと、「みんなで頑張ろう!」という力強さをいただきました。
大宣寺局長さんがご挨拶と合わせて体験談発表をされました。以下、聞き書きですが、
『6歳くらいの頃、父親の運転するダンプカーに轢かれ重体に。輸血など治療を施し何とか回復できました。その2年後、B型肝炎を発症しました。
そして30年が過ぎた頃、小さな手術をすることになったのですが、そこで今度はC型肝炎が発覚したのです。6歳の頃の輸血の折、感染したことが分かりました。
2度にわたり治療を試みるものの失敗。治療のたびに8ヵ月~9ヵ月を要するため、生活にも大きな支障となり追い詰められていました。
その時から大宣寺にお参詣するように改良しました。すると早速お計らいをいただき、3回目の治療は成功したのです。
以来、100キロ離れた自宅から、日曜日ごとにお参詣することを決め、今もずっと続けています。
それは、日水上人が最初に建立されたブラジル根本道場、最初道場の大宣寺への報恩の思いと、護り続けたいという思いからです。』
日水上人のご奉公… 
最初は入植者として、たった1人で他の入植者と同様、生活基盤が無い中をなんとか築きつつのご弘通であられました。しかし、ひとり、またひとりと日水上人より御題目の種を授かりお計らいを感得していき、今ではブラジル各地に10数ヵ寺が建立されています。
現在でも9割がキリスト教徒のこの国に上行所伝の御題目が弘まり、各地での日系の方々のみならず様々な人種のお教務(僧侶)とご信者さんによる力強いご奉公を通して、日水上人の情熱や熱い魂に触れているような有難い気持ちになります。
◾️5月18日
秋晴れより少し暖かいぐらいのやさしい陽光の朝を迎え、講有日覚上人ご唱導のもと、大宣寺門祖会が奉修されました。
ブラジルHBS根本道場である大宣寺の御大会だからか、ひときわ強く日水上人への報恩の思い、日水上人のご信心を感じます。大宣寺建立に至るまで約30年。そのご苦労や、向き合われた困難は本当にどれほどであったかと思います。報恩の思いとご弘通を誓う気持ちの溢れた一座の法要が奉修されました。
講有上人の御法門は、「つひにまだしらぬみやこの道しるべ 誰故得しと人思ふ覧」を讃題にいただかれ、蓮隆扇三祖、そして、このブラジルにおいては日水上人がいらっしゃらなければ、この御法にお出値いすることも、お計らいをいただくこともできなかった。その御恩を決して忘れぬように、そして、報恩の思いをもっていよいよご弘通に励むようにとお折伏を賜りました。
御法門を聴聞させていただきながら、特に日水上人のお話で、やはり涙してしまいます。
昨日のお助行に続き、この日も手作りのご供養席で歓待を受けました。
ブラジル滞在中のほとんどの食事はブラジル教区からのご供養です。1人でも多くの方に講有上人の随伴としてお参りしてほしい、特に、南米最大の仏教寺院となる日教寺の開堂式を、その喜びを、世界中で分かち合って、ともに信心増進させていただきたいというお心からです。
その後、450キロ先のサンパウロに向かいました。私たちはバスに乗せていただいたのですが、だいたい5時間半の予定です。ただ、日水上人はある時は、サンパウロからリンスに戻るお金がなく、サンパウロのご信者とも会えず歩いてリンスに帰られました。
今まさにバスが走るこの道を歩いておられた。半年かけて。歩いては、途中の町で仕事をし食事をとる。そして歩いては、また仕事をして食事を…。
仮に諦めても、ドロップアウトしても、誰からも責められなかったでしょうし、むしろ同情されたと思います。だけど、次の一歩は大宣寺の方向へ。師命のある方へ。信じる方へ。
この赤い土の上に草の薄い緑が広がる道端を歩いておられる、その様子を思い浮かべると涙が止まりませんでした。
日本にいる時より、空がひときわ高く感じられる。そんな景色が広がっています。
◾️5月19日
講有日覚上人による連日の激励。本日1ヵ寺目はカンピーナスの蓮徳寺です。ここに講有上人がお出ましになるのは1996年に第21世御牧日勤上人が起工式を奉修されて以来、29年ぶりとのことです。平日ではありますが多くのご信者さんがお参詣され、講有上人と団参のみなさまをお迎えされました。
2012年頃から建営を始められたそうですが、まだ竣工していません。今は新日教寺建立に全力を注いでいるためもうひと息、という段階ですが完成するとかなり大きな寺院になります。
蓮徳寺のみなさんは今日を迎えるため、100日間にわたり晴天無事奉修、ご奉公成就のご祈願を続けてこられたそうです。ご供養を頂戴した後、別れを惜しみつつ約2時間かけて2ヵ寺目のサンパウロの常照教会にお参りいたしました。
道中、サンパウロにさしかかった辺り、街のはずれには不法占拠の住宅が広がっています。ここを抜けて常照教会に到着しました。13年前に日教寺の第5連合が自立するかたちで親会場を建立、そして2020年に教会に昇格。ここにお寺を建立するという夢を抱いてご弘通に励まれています。
御住職の秋山教開師が赴任された頃、朝参詣を勤めていると、住民から杖か何かで打たれて背中を痛めたことがあり、しばらくの間、毎朝、警備員を雇っての朝参詣を続けられたのだそうです。
その秋山御住職は現在84歳で、10日前から肺を悪くされ入院となりました。しかし何とか講有上人をお迎えしたい!という一念でご祈願され前日に退院が叶いました。
酸素ボンベが必要とのことで、2階のお部屋から出られない状態ではありましたが、講有上人と団参者ご一行をお迎えするために、改良着とお袈裟を着け部屋の窓からずっと外を眺めておられたのが印象的でした。講有上人がお部屋まで上がられ2階の御内佛前で記念写真を撮られました。
熱い御題目口唱の一座に続き、講有猊下より、高祖の「妙とは蘇生の義」の御意から、頭で考えて先を読もうとしたりせず、自力に傾くのではなく、御題目口唱に徹し、経力をいただいてご弘通ご奉公も何事も成就させていただく姿勢の大事、そして、教会から寺院へのご弘通発展を成就するよう激励がございました。
また、予定表には「お助行」と記載されていますが、連日、御大会規模でご奉公、準備、ご供養をもって歓待される篤い志をお喜びくださっていました。
常照教会を出る頃には、もう夜。早朝からのご奉公でご用意くださったお弁当を頂戴し、ホテルに向かいます。
警察隊による完璧な警護の中、ホテルに到着しました。すべての交差点を止めて、バスの前方200~300メートル、後方150メートルは1台も、誰ひとり入れないほど鉄壁で、幾分申し訳ない気持ちを感じますが、それだけ治安がよろしくないという意味であり、そういう中をしっかりお給仕させていただきたいというブラジル教区の篤い志を感じました。 (つづく)