ほんもんぶつりゅうしゅう
2023年01月01日
5支・廣全寺 高祖会に併せて創立100周年御礼言上式を厳修
昨年11月27日、館山・廣全寺(住職・柏日胤師)において、乗泉寺巡教・高祖日蓮大士御会式に併修し、当山創立100周年の御礼を言上していただいた。
 奉修御導師には、大本寺・乗泉寺住職・永江日盡師のご唱導をたまわり、有縁のお教務方がたにご出座をいただき奉修された。また、参詣寺院は、随伴参詣として乗泉寺第4ブロック・三鷹・国立連合と有縁寺院からのご信者にもお参詣をいただいた。
 この創立100周年を迎えるにあたり、当山ではコロナ禍と高齢化が進み、三大会の参詣数の減少が顕著であるため、この100周年に因み100名の参詣目標を立てて、奉修局が中心となり創立100周年にお出あいできた果報に感謝し、参詣という姿に顕し報恩の誠を尽くそうと往復ハガキでの案内やお助行と電話等での将引を根気強く続けた結果、おかげさまで参詣目標を上回り、103名の実績を上げることができた。教講一同は、御宝前からご褒美をいいただいたものと感得している。
 当日は、小春日和の暖かな陽気で、館山から雪化粧された富士山の威容も見ることができ参詣者の方にも大変喜ばれ、創立100周年の慶事に華を添えていただいた。今回の高祖会では、奉修言上に併せて廣全寺創立100周年の御礼言上をいただいた。
 当山の沿革は、大正年代に弘通の道が開け、佛立第8世日歓上人が自ら法城の敷地を検分され、高祖大士ご生誕と立教開宗された安房の地に1ヵ寺との思いで、館山の地に「館山倶楽部」と称した建物を建立され、大正10年に落成し当地弘通の拠点とされたのが当山の前身である。
 大正11年1月に御本尊、5月に御尊像が安置され、東京第2支部館山親会場と公称。日歓上人ご内室・田中浅子刀自の叔母であられる、亀井妙田尼を横浜・本立寺から迎えられ、信者の教養に尽力され弘通基板の端緒を築かれ、当山第2世住職に就任された。
 しかしながら、関東大震災により乗泉寺に移り、大正12年12月に帰寂なされた。当山では、昨年12月・妙田尼の第100回忌を執行させていただいた。恰(あたか)も、創立100周年に期を同じくしたかのように深いご因縁を感じる次第である。
 また、1座の御法門前に、教化・参詣・助行の成績優秀者を顕彰し、100周年の特別表彰として、創立50周年のご奉公にも携わり本年100周年の記念ご奉公にも奉修局の一員としてご奉公された5名の方の代表として、生具育子氏に記念品と共に随喜状が授与された。
 奉修導師の御法門では、「主師父母敬ふことをしるならば 心のまなこあける人なり」との御教歌をいただかれ、乗泉寺門末信廣会約100ヵ寺の中でも、大正年間に建立されたお寺は少ない。この100年を迎えられたことは佛天のご加護はもちろんのこと、日歓上人はじめ歴代のご住職や、物故功労者の方々の心血を注いだご苦労があってこその100周年であることを、ゆめゆめ忘れることなく、知恩報恩の敬いの心の眼を開いて、ますますご弘通ご奉公に精進せよとのお慈折をいただいた。
 時恰も「高祖日蓮大士ご降誕800年慶讃ご奉公」のご正当の年に、当山の創立百周年を迎え、また弘通の礎を築かれた妙田尼の第百回忌のご縁をいただいた事に思いをいたし、この大事な節目を信心改良の契機とし、なお一層、報恩の誠をつくし精進させていただく覚悟である。