ほんもんぶつりゅうしゅう
2025年09月01日
海外弘通だより~ブラジル編 講有巡教 随行ご奉公記② サントス・イビラプエラ・佛立聖地へ
◾️5月20日
御50回忌であった2020年の7月23日、日水上人に対し、サンパウロ市よりブラジル仏教初祖という「パドロエイロ」の称号が公認され、ブラジル宗教史にその名を大きく刻まれました。
サンパウロ市は称号公認と同時に、日本移民の日でもある6月18日を「ブラジル仏教初祖・茨木日水上人の日」と制定し、サンパウロ市年間公式日程の中に組み込みました。
この「パドロエイロ」という称号は、ブラジル宗教文化の上において最大級の重みがあるもので、「その方に従えば守護される」という信仰に基づいています。当然ですがその公認を得ることは簡単ではなく、史実に基づかなければなりません。キリスト教90%のこの国において、女性でその格に当たるのはキリストのマリアのみです。
笠戸丸が到着する時、日水上人は下船直前に水野龍氏、茨木千代氏、茨木信太郎氏と遠藤豊之助氏といった信徒とともに御題目口唱の一座を勤められます。それから117年。この日、ブラジル最初下種の地、サントス港にて初となる講有上人による法要が奉修されました。
◾️5月21日
午前中、団参者はリベルダデ日本人移民資料館見学。一方で講有上人はブラジル日経、ブラジル日報、CBOなど5社による記者会見を受けられました。講有上人は記者の質問に対して、深く、しかし、分かりやすくご説明くださいました。みなさんが熱心に質問をされ、盛り上がりすぎて当初の40分の予定が1時間半超えの長丁場になりました。
当日の様子は早速ブラジル日報より記事が出ています。【下記QRコード】
その後、イピランガ博物館を見学。館長直々に案内と説明をしてくださいました。
参詣団への同行やガイド、通訳はすべてブラジルのお教務方です。早朝から深夜まで連日にわたるご奉公に頭が上がりません。みなさん、25日の開堂式をイメージしながら、でもイメージすると涙が出るから、目の前のご奉公に集中して一生懸命ご奉公なさっています。
ギリギリまで色々な調整が重なり、この日の晩にブラジル教区との交流会が開催されました。
さすがサンバの国。歌や踊りがあり大変な盛り上がり具合で、一体感はとてつもないものでした。
ブラジルのご信者から日教寺内を少し案内していただきました。目には喜びの涙が光っていました。歩きながら「この設備にはこういう目的があって」、「この位置にしたのはこういうコンセプトがあって」、「みんなで議論を重ねて、でも素晴らしい議論だったよ」と熱心に説明してくださいました。
日教寺の場所がこのイピランガに決まるまで、お教務もご信者も、本当にギリギリまで追い詰められるような難局が重なったそうです。しかし、お懺悔をし「常題目運動」を掲げ、それまで親しみのなかった一万遍口唱や百本祈願にみんなで取り組まれます。結果、その困難を、また、お計らいをみんなでしっかり感得して、いよいよ信心増進し、異体同心が高まったとのこと。
やはり、異体同心は誰かが用意するものではなく、一人ひとりが信心に励んで、努力して築き上げるものだと教えていただきました。
◾️5月22日
午前中、イビラプエラ開拓先没者慰霊碑を訪れました。「せんぼつ」というと、通常は戦争で亡くなった方を意味する「戦没」なのですが、ここでは「先没」と刻まれています。大きな夢を抱いて移民船に乗った人々。現地に着くと、そこには宣伝とはまったく違う世界が広がっていました。経済的な基盤がなく、劣悪な生活環境、とにかく夢中になって働き通したそうです。
その中で、幼い子どもを残して亡くなった方、幼い子どもを育てきれずに亡くした方、家族全員が亡くなった… ある地域ではマラリアが蔓延し、多くの方が命を落としました。
そのような、夢を叶える前に、もっと生きていられたのに、早くして亡くなった方、という意味を込めて「先没」と記したそうです。
先没者の遺骨の多くが取り残され無縁仏となっていたのを回収してこの慰霊碑が建立されたのです。
毎年、ブラジルと日本の代表者方により弔いが行われており、皇室も来伯の際はお参りに来られる場所です。
移民政策が終わる1972年頃までにブラジルへ渡った日本人移民は25万人と言われます。午後に訪ねたブラジル移動収容所は1888年に建てられた施設で、移民方はここにひと月寝泊まりし、割としっかりとした食事などを提供され、ブラジルの文化や風習など教育を受けたそうです。
しかし、入植先が言い渡され、いざ現地に入ると今までのような場所とはまったく違う、騙されたのではないかと思うほどの劣悪な環境でした。
そこから、大変な苦労を重ねられたのです。
夕方、今回初めての雨が降りました。
◾️5月23日
早朝にホテルを出て約170キロ先のタピライ市にある「佛立聖地」に向かいました。
204ヘクタールになる聖地一体は環境保全区域になっており、ブラジル全国に残る原生林の40%を占めるとも。タピライとは「バクが多い場所」という意味の原住民の言葉で、実際、バクやピューマなど色々な動物が生息しています。
前のオーナーにより沖縄産など3種類の桜が計500本植えられており、開花の時期こそ日本とは違うものの満開になればきっと綺麗な景色になることでしょう。
市街から離れた自然いっぱいのこの地でも、常在のお教務がいらっしゃって毎日朝参詣が勤められ、周囲のご信者宅での御講やお助行も行われています。
また、年に2~3回はブラジル全国から教講が集まって、青年会やくんげ会の錬成会が開催されています。これも、ご信者さんが集まり賑わえる場所を作りたいという日水上人の夢の1つでした。
佛立聖地の特徴の1つは題目塔と「平和の鐘」と言えるでしょう。
重さ約1トンのこの鐘は、原爆が投下された広島と国連、そして、この佛立聖地の、世界に3つしかありません。
十数年前にコレイア御導師が広島市長を訪ねたことから始まります。広島にある平和の鐘を佛立聖地に掲げたいとの申し出に対し、広島市は協議を重ね、また、佛立宗とタピライ市に対して細かく調査を行いました。
結果、宗旨の正当性、また、よい市であることが認められ、最終的に広島市長とタピライ市長の合意により、公式に平和の鐘を掲げるに至ったのです。
鋳造は富山で行い、鋳造の際の火入れでは御題目を上げ、ご開眼されています。
毎年8月5日18時からタピライ市民が市長を先頭にして平和パレードを行います。
市街からこの平和の鐘に向かって6キロの道のりを行進し、ちょうど20時頃(日本の8月6日8時)平和の鐘の前にたどり着き黙祷を捧げ、鐘を鳴らし、そして、上行所伝の御題目による一座の法要を勤めます。週末に重なった時は参加者が400名になるなど市の一大行事となっています。
佛立聖地はタピライ市との繋がりがしっかりしていて、本日のお参詣にもタピライ市長夫妻が参列されました。タピライ市は以前、小くて目立たない面白くない町だったそうです。それが、佛立聖地ができたら町が栄え、今では毎日観光客が訪れ平和の鐘を鳴らしていくそうです。
一座の法要を終え、鐘を打ち、そして、大きな体育館に移動。
平和の鐘が認証されたその年に結成された楽隊の一部が学校をお休みして演奏とダンスを披露してくださいました。これもまた不思議な因縁です。
市長より『タピライ市が御本尊をお護りできたことを感謝します。この世の中をさらに平和にしてください。世界の破壊、自然の破壊、戦争などが続いています… もっと平和が求められます。
諸宗教の中でも佛立宗は目に見えてその活動をなさっているので、ぜひさらに発展させて私たちを導いてください』とのご挨拶がありました。
こちらでも盛大にご供養を頂戴しました。
去年2月の移転以来、日教寺の御本尊、御尊像はこちらにご安置されていました。この日の晩、いよいよ新しい法城にご遷座されます。(つづく)
(ブラジル日報 記者会見の記事QRコード)