ほんもんぶつりゅうしゅう
2025年03月01日
新春清談 御講有大いに語る[3] 謗法を犯さぬよう慈悲の折伏を  ご弘通に励む海外教区の姿もお手本に
――先月号に引き続き、5月に実施されるブラジルご巡教について、現地教講への激励、そして日本からの団参予定者へのお言葉をいただきたいと存じます。
開堂式を期に伯国全土妙法化を
御講有 今回は特に日教寺の新本堂建立ということが、ブラジルの一つの大目標になっておりますね。なんとか御法様のお計らいをいただき、無事に建立成就、完成をしていただき、5月25日の開堂式は晴天無事奉修できますように念願をしている次第です。
また、異体同心でブラジルの教講一同がご奉公されまして、無事諸ご奉公成就できますように。またその開堂式を機縁といたしまして新たなる下種結縁ができ、そしてお供え教化成就の御礼が当日言上できるように、もう一つ頑張っていただきたいと、こういうふうに念願を致しております。
さらにはその建立成就ということを機に、ますますブラジル教区が隆昌発展致し、それぞれの土地で下種、教化ができてブラジル全土が妙法化できるように。これを目指してご奉公いただきたい、と念願しています。
現地教講の姿を謙虚に見習おう
また団参の方は体調を整えて、所属のお寺の御宝前に、団参の道中無事安全、無事参詣成就・帰国いうご祈願をあげていただき、その所属のお寺の御導師にお願いしていただきたいということですね。まあ実際、かなりハードな日もありますので、ぜひ体に気をつけて参加をいただきたい。
もう一つは、ブラジル教区は明治40年代からの発足で、日本に比べれば遅く出発しておりますけれど、今、その勢いというのは大変なものがあります。むしろ日本の佛立宗というか、日本の教講はブラジルに学ぶ点が多々あるんじゃないかと思うんです。
文化というのはだいたいその中心から周辺に及んでいって、周辺に残っていく。簡単に言うと、中心の日本から先に抜けてしまわないようようにしなくちゃいけない。それを防止するには、そういった周辺と言ったらなんですが、今、一生懸命頑張っているブラジル教区やスリランカ教区、その他いろんな海外教区でご奉公が進展しておりますが、その土地の教講の姿、これを謙虚に見習って、私たちはそれを栄養にしてご奉公させてもらわなきゃいけない。こういうふうに思っております。
団参の方々も、ぜひそういったことを、見聞を広めていただいて、帰ってからのご奉公に役立てていただきたい。こう思っております。
――また昨年は、厳父・権大僧正日玄上人御37回忌の年として、昨年11月にその法要をなされた(佛立新聞2月号掲載)と伺っておりますが…。
お教化も立派に成就
御講有 おかげさまで11月3日に奉修できまして、御講尊髙須日良上人にお勤めいただいた次第です。その前後、雨続きで心配しておりましたけれども、その日だけ晴天ということで、本当にありがたいお計らいを頂戴いたしました。
また2ヵ年誓願を立てており、50名(奉安または個人)の教化誓願がございました。当日までに成就をということでしたが、国内が48名、海外フィリピンで20数戸成就でき、合わせて80軒近くできたんですね。その後、また国内でも頑張って国内だけでも50名以上できました。これはありがたいですね。
私は一昨年、住職交代しておりますので責任もなくなっていたのです。今回のこの御会式につきましても、私はほとんどかかわってないというか、お客さんみたいでした。けれどもかえってそれが良かった。ちゃんと住職と教務、それから事務局、ご信者一同で本当に頑張ってご奉公いただきましたので、お教化も立派に成就いたして、安心して迎えることができました。これが何よりありがたかったです。
――その他、読者・ご信者方にお伝えいただけることがございましたら、お話しいただきたく存じます。
不軽流の折伏を心がけよう!
御講有 やはり御法に忠実に、絶対に謗法を犯さないように。この頃の風潮といたしましては、あまり干渉しないということを、皆モットーにしているようなんですけれども、折伏ということが大事なことです。ちょっと間違ったことを考えたり、やっていたら優しく諭すということは、今もって大事な忘れてはならないことだと思うんです。
ですから、まず自分が謗法を犯さないように。簡単な謗法と言ったらなんですが、いろんなお札だとかお守りを持ってはいけない。これすら守っている方がどれだけあるかっていう状況で、本当に純粋なご信心を尊ぶというのが佛立宗の特徴であった。ところが、最近の風潮で干渉しない、人にはとやかく言わない。そういうようなことから、あまりご信心のことまで、言わなくなってしまった。しかし、お折伏はやっぱり重大なことです。
また教えの上で過ちを犯さないというか、上行所伝の御題目口唱だけで私たちはご利益を頂戴できる。それなのに何か不足の念というか、それじゃ足りないのかということで、おかしなことをいろいろやる。そんな、要らないことをやるようなことがあったらいけないですね。あくまでも謗法にならないように、その範囲内で何でもさせてもらわなきゃいけないということでございます。
これが今後とも大事なことで、この謗法という概念をなくしてしまったら、佛立宗は日蓮諸宗という他の宗旨となんら変わらなくなってしまう。それではいけないと思うんです。ただし、謗法を責めると申しましても、「義は強くことやはらかに身を下る これぞ不軽の折伏としれ」と開導聖人も御教歌でお示しですから、そういう不軽流の折伏をさせていただく。尊大な態度で偉そうに言うことだけは具合が悪い、以上のことを気をつけていただくことが一番、今後、大事なことだろうと思っております。
――本日は法務ご多忙の中、3ヵ月にわたってお話しいただき、誠にありがとうございました。
(文責・編集部 聞き手・佛立新聞編集長)