ほんもんぶつりゅうしゅう
2022年03月01日
第2支庁本妙寺 佛立第23世講有日丞上人御13回忌を奉修
令和3年11月28日、奈良本妙寺(住職内田日喜師)では、高祖日蓮大士御会式に併修し、去る平成21年12月28日、法寿90歳でご遷化あそばされた佛立第23世講有、本妙寺第34世住職・野﨑日丞上人の御13回忌を、講有日良上人の御巡教をいただき奉修させていただいた。
 本妙寺は、日丞上人が第34世の住職とあるように、その創立は安土桃山時代に遡る元亀3年(1572)であり、本年で450年の節目に当たる。
 また、明治30年頃、佛立講京都本部の意向を受けた京都寺田経王組、京都狛勧信組の信徒が、佛立講の奈良支部創設のために奔走した。その中で、奈良市下三条の本門法華宗本妙寺を本門佛立講奈良支部とすることとなる。
 本妙寺の歴世住職は、開基日承上人より第28世日念上人までは法華宗僧侶がそれに就き、第29世以降は、佛立宗(佛立講)教師がそれに当たってきたのである。
 ちなみに、第29世は権大僧正日禮上人、第30世は佛立第6世講有日睿上人、第31世は佛立第7世講有・本宗中興日淳上人、第32世は解行院日衛大徳、第33世は権大僧正日乗上人。そして、その法燈はこの度、13回御忌を迎えられた佛立第23世講有・本妙寺第34世日丞上人へと受け継がれていくのである。
 佛立講奈良支部と本妙寺がなった後も、法華宗時代の旧檀家の方々は、本妙寺に残り佛立講信者の方々と共にご奉公に励まれる。特には、第30世日睿上人の時代において、修徳会が結成され、旧檀家と佛立講信者の融合がより一層進むこととなる。もちろん、旧檀家の方々は佛立講法要儀式を用い、佛立講信者となりご奉公されたのである。今なお、旧檀家より佛立講信者となった方々の子孫も多数ご奉公している。私、内田日喜もその一人である。
 平成三十年に本妙寺において、歴史的に一番大きな御墓所工事となる歴代住職御墓所の整備を成就させていただいた。その御墓所には、開基日承上人、講有日丞上人、歴世住職等の墓碑が荘厳に建立されている。
 また、この度の講有巡教に合わせて本妙寺では、本堂内陣の改修荘厳事業、宝物殿・位牌殿荘厳工事、堂内改修工事、本館・会館・正面山門の大屋根外壁防水塗り替え改修工事、境内地外周壁撤去新設工事等が行われ、寺観の整備が成就できた。
 令和3年度は、教化誓願24戸に対し、倍以上の50戸が成就でき、高祖日蓮大士ご降誕800年慶讃ご奉公通年教化誓願200戸も令和3年3月に達成し、現在(令和4年1月末日)では、通年教化は241戸の成就となっている。
 大法要当日は、御宝前のご加護と講有上人のお徳をいただき、穏やかな晴天に恵まれた。法要においては、一貫して感染症対策が施され、密を避けての奉修となった。
 第1座は、午前9時から本門寺住職・加藤日崇師導師のもと前・後段に分けて奉修。座内において、本妙寺門末会代表・堀田日陽師より挨拶をいただき、奉修導師より前後段各々御法門をいただいた。
 第2座は、午後2時から講有日良上人導師のもと前・後段に分けて奉修され、前段では講有上人から「よしあしを世のうき草とよそにして たゆまずのぼる法の川舟」の御教歌で御法門をいただいた。
20分のご信者の入れ替えの後に後段に入り、一座のお看経の後、布教区代表・中西淳誠布教区長の挨拶、宗務本庁代表小野山清輝法要部長の挨拶、弘通興隆費下附の後、講有上人から「唱え死するより外に願ひなし よかれあしかれ貪著はなし」の御教歌で御法門をいただいた。また、この座には、講有上人ご内室・富恵様の参詣もいただいた。
 今回の法要は、ご奉公もできる限り密を避けるため、事務局幹部と壮年会、婦人会本部役員等の少人数体制で行われた。参詣教講へのご供養等もすべて持ち帰りとした。
 また、本来なら寺外にも法要が認識されるよう幔幕を張り、題目旗を立て、大勢の寺内ご奉公者で、賑やかにご奉公するところであったが、あえて寺外への露出を避ける姿の法要とした。
 最終的には、参詣教務は、奉修導師を含めて11師。ご信者の参詣は、寺内のみにて650名を数えた。