ほんもんぶつりゅうしゅう

岡山 妙現寺


2021-08-12 17:42

夜の壮年会御講 厳しい御法門を頂く

 7月24日(土)、19時より、久しぶりの夜の壮年会御講が行われました。コロナ状況悪化で延び延びになり、夏期参詣中のやや忙しい時期ではありましたが、御導師にご無理をお願いし、この時間でご奉修頂きました。
 当初夜間にしかお参りできない壮年会層の方へとの思いで企画させて頂きましたが、私も含め、お声掛けが十分ではなく、ふたを開けてみますと、若い世代の方だけでなく、年配のご信者様もお参りが少なく、結果10名のご参加と一見さみしい結果になった様には思います。
 しかししかし、新たなチャレンジとして夜に行ったという事実は残りました。ご信心では後々こういう事が大きな結果を生みます。
 今夏の夏期参詣中の御法門でも、ご信心の世界の考え方と一般社会の考え方では、根は同じでも、表面的には真逆の事が多いという御法門もございました。
 通常一般社会では、例えば人を集めようとすると何らかのメリットを与えることを考えます。価格をサービスしたり、プレゼントを提供したりといった具合です。また、経済的に豊かになりたいと思えば、必死に仕事に時間を費やします。子供達に立派に育って貰おうとすれば、親心としては必死にお金を稼ぎ、教育や習い事に時間をかけ、とにかく一生懸命生きていくわけです。一生懸命ですから、自分を否定することはなかなかできませんし、他人のいう事にも耳を貸すことは難しいです。とにかく必死です。若い頃の私もそうでした。
 しかし、ご信心の世界からお教え頂く事は、ちょっと立ち止まって考えてみませんか?、という事ですね。御講に出向いたからと言ってお金を稼げるわけではない。時間もお金も掛かるのに、あえてお参りをするのです。でも、功徳を積んで頂きたいという思いで、御講や参詣にお誘いするのは結局一般社会と同じです。ただ、お金や物といった分かりやすい形での代償が無いだけ。そこでお金では買えない功徳を積むとどうなるのか?。目に見えない、時には目に見えるご利益を頂戴できますが、通常、人には言えないほど頂いたあり得ない本当のご利益談は、なかなか表に出てきません。表に出すと怨嫉が生まれるからです。嫉妬や妬みといった気持ちが生まれるからでしょう。
 この辺りを見透かされた様に、御導師から厳しい御法門を頂きました。
 御教歌に「人なれど 畜生よりも おとるあり よく深きもの 恩をわするる」
 御法門はこちら↓↓↓から拝聴頂けます。
 【御法門はこちらをクリック】
 
 皆様も、年齢に関係なく、ご信心を中心にして生活をしてみませんか?。ご信心を中心とは、お寺参り、特に朝参詣を中心に、という意味です。さらに”生の”御法門聴聞が大切です。無数の御法門を聴聞することで、自分の人生を一変させてくれる御法門に巡り合う可能性があるからです。
 朝参詣を日課にされておられる方、毎朝御法門を聴聞される方達は、長年持っておられた無数の点と点が線になり、面になっておられる方が多くおられると思います。きっかけは何でもいいのでしょうが、お寺に足を運ぶ事が日課になり、御法門を無数に聴聞する。素直に実践される事を心からお勧めいたします。
ありがとうございました。   弘通部 岡田