2025-05-21 19:13

5月20日、サントス港 上陸記念碑 最初下種の地にて
























5月20日は、第一回移民船「笠戸丸」が上陸し、日水上人がはじめてブラジルで初めてお題目をお唱えになったサントス港に向かいました。


本来、笠戸丸が到着した場所は警備上の問題で70名の参詣者は入ることがでないということから、海外沿いに建立された上陸記念碑の前で慰霊法要が営まれ、講有上人による献花が行われました。


奉安された御本尊は、日水上人ご染筆御本尊。コレイア御導師は表装を治す際、御本尊の部分は「綺麗にしないで」とリクエストされたそうです。ご本尊の周りには土埃、赤土などが付着しており、日水上人の息吹を直に感じるものとして残されたそうです。


少し湿気を感じ強い日差しが降り注ぐ一座となりましたが参詣者一同、117年前に上陸された先人に思いを馳せ、熱気あふれるお題目の音声が響き渡りました。



以下は、移民団などの情報で長文になります。ご興味のある方はご覧ください🙏


1908(明治41)年4月28日、希望に胸を膨らませて旅立った781名の移民団は、シンガポール、希望峰を経て6月18日、ここサントス港に到着しました。


ブラジルと仏教展図録(京都佛立ミュージアム)には、移民団がサントス港に降り立つ直前の様子を掲載しています。


移民団の中の一人、香山六郎(こうやま ろくろう)氏は

「明日はいよいよサントス入港だ、かさと丸ともお別れだ。移民の心は、雄々しいうちにも故国の船に別れる哀愁があった。移民の子供を抱き上げて、お別れの頬ずりをする船員もあった。沖縄移民のひくジャミセンの音は、夜の海に流れた」


と記されています。移民団の方々が希望と覚悟を胸にサントス港に降り立ったことを伺うことができますが、その後の壮絶な生活は想像を絶するものとなりました。


さらに図録には、52日間の航海を経たにも関わらず、礼儀正しく、身なりは洋風の服に身を纏い、船室がきれいに整えられていたこと驚きを隠しませんでした。あまりにも律儀で、実直な日本人、明治人の姿が伝えられており、のちに「ジャポネス・ガランチード」、「日系人なら信頼できる」と讃えられる日本人のアイデンティティ、素晴らしい徳性のルーツを垣間見ることができます。


慰霊碑の前には「この大地に夢を/A ESTA TEREA」と刻まれた碑が建立されていました。


この移民団が降り立った6月18日が茨木日水上人がはじめてこの地に降り立った時であり、はじめてお題目がブラジルに届けれられた日でもあるのです。


この6月18日はサンパウロ市から「ブラジル仏教初祖・茨木日水上人の日」と制定されています。


これも特筆するべきことです。長くなりますので、宗門HPに掲載されている記事をご覧いただきたいと思います。下記に一部を抜粋します。


https://honmon-butsuryushu.or.jp/pg/news/item/wk59366883

この度の称号公認と同時に、サンパウロ市が日本移民の日でもある6月18日を「ブラジル仏教初祖・茨木日水上人の日」と制定し、サンパウロ市年間公式日程の中に組み込んだことも特筆すべき事です。

事実、112年前のその日には、笠戸丸下船直前に日水上人は水野龍、茨木千代、茨木信太郎と遠藤豊之助といった信徒とともに御題目の一座を設けてお看経されました。それがまさにブラジル最初下種・ブラジル仏教立教開宗となった日であり、その主人公・ブラジル仏教初祖・茨木日水上人の日となったのです。


パドロエイロという称号は、ブラジル宗教文化の上においても最大級の重みがあり、地域に根付いているものです。「その方に従えば守護される」という信仰に基づくものであり、女性でその格に当たるのはキリスト教でいう聖母マリアのみです。


 しかし、このような公認を得ることは簡単ではなく、史実に基づかなければなりません。そのために日水上人のご奉公歴・生き様や、ご信者がいただかれた数々のご利益等は、『日水上人伝』という書籍によって簡単に証明することができましたが、僧侶としては「初祖」の裏付けとなる公式記録がなかなか見つかりませんでした。


 しかし、移民100周年の時の研究の結果、サンパウロ州公共資料館に最大の証拠が発見されました。112年前の移民船・笠戸丸の下船名簿の原本です。そこにあった茨木友次郎(日水上人)の職業欄には「僧侶」とはっきり書かれていたのです。


 ブラジルは移民として「労働者」を求めていたのであり、「聖職者」の渡航は許されていませんでした。しかし上人は強制送還をも恐れず自らのお立場、日教上人からいただかれたご使命を入国時に一言で「僧侶」と宣言されたのです。それが見事に明記されているのです。このことから改めて感得させていただけることは、日水上人は今、パドロエイロになられたのではなく、サントス港到着の初日からそうであられたということです。