2022-03-03 14:43
3月を迎えて
3月もあっという間に3日。
今日は桃の節句。我が家にも小さなお雛様が飾られてました。こうした日本古来の文化も嗜む心の余裕は大切にしたいものです。
昨日は長松寺で奉修された大僧正日峰上人御三十三回忌にお参詣させていただきました。
奉修導師の藤本日涌御導師のお話、日峰上人、小千代奥様のお話、そして捷代おばちゃんのお話、ユーモアを交えながらも胸が熱くなるお話でした。
父母に連れられてご挨拶していた頃は、かわいい御導師、やさしい小千代おばあちゃんでしたが、いま教務としてご奉公させていただくと日峰上人、小千代奥様のご苦労、偉大さに気付かされることばかりです。
御法門では何歳になっても、何歳からでも功徳を積むことの大切さ、その深さを教えていただきました。
そして長松御住職のご挨拶。開導ご遷化からちょうど100年後に、長松日峰上人のご遷化、そしてその10年後に松風院日爽上人のご遷化。つまり今年が二十三回忌。さらに今年は高祖御降誕800年のご正当年という記念の年。あまりの符号に奮起を誓うほかありません。
今日は今日で京都佛立ミュージアムの次回展示「大宥清寺展」の準備のため本山宥清寺で山下執事長はじめ、教務部の皆さんと宝物を拝見させていただきながら打ち合わせをさせていただきました。日蓮聖人ご真筆御本尊やお手紙、日朗上人、日弁上人、日隆上人のご真筆を拝見させていただきました。
本当に貴重なご宝物で、佛立信者、佛立教務としての果報を感じましたが、完全に果報を食いつぶしているようで申し訳ない思いになりました。
なんとか、万分の一でもご恩に報いるご奉公をしなければなりません。
世界を見ても無力感を感じにはいられませんが、負けてはならぬ祖師のお味方。
善と悪、暴力と幸い
ブッダの肉声のような教えである「ダンマパダ(法句経)」を読みかえして明日への糧にしたいと思います。南無妙法蓮華経
ダンマパダ 第9章「悪」
「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人は災いに遭う。
まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でも災いに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福(さいわい)に遭う。
『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならばやがてさいわいにみたされる。
『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、善を軽んずるな。水が一滴ずる滴り落ちるならば、水瓶でもみたされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる。」(119ー122)
第10章
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
生きしと生けるものは幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後に幸せが得られない。
生きとし生けるものは幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せをもとめているが、死後には幸せが得られる。」(129ー132)